【映画】「【推しの子】-The Final Act-」感想・レビュー・解説

意外にも、かなり面白かった。

というわけでまずは、「意外にも」の説明から始めようと思う。

さて、世の中にそんな奴は1人もいないんじゃないかと思うが、僕は『【推しの子】』という作品(【】付きが正式名称だと、今日ちゃんと認識した)の、マンガも読んでいないし、アニメも観ていないし、アマプラでやっているらしいドラマも観ていない。つまり僕は、『【推しの子】-The Final Act-』しか観ていないのだ。僕は基本的に『【推しの子】』を観に行ったというよりも「齋藤飛鳥」を観に行ったという感じなので、そういう感じになっている。

で、映画を観る前の時点で僕は、「ざっくりした設定」と「映画版は最終章だ」という話だけなんとなく知っていた。だから、「映画だけ観てもきっと、よく分からないんだろうな」と思っていたのである。

まあ、確かに「よく分からない」と言えばそれはその通りである。映画の前半は、星野アイが殺されるまでを描き、そしてそこから一気に、大人になったアクアとルビーが報道陣に囲まれているシーンまですっ飛ぶので、後半の物語に出てくる人物はほぼ全員「誰だこれは?」みたいな状態だった。まあそれは、僕がドラマ版を観ていないのが悪いので全然問題ない。

ただ、そんな映画しか観ていない僕でも、物語としては十分面白かった。よく出来てるなぁ、と思う。つまり僕は、本作を「映画単体として成立している」と感じたわけだけど、それはかなり難しかったんじゃないかと思う。

ただ、映画では、「アクアが犯人に目星をつけた過程」みたいなことは当然まったく理解できないわけだが、それを除けば、「推しの子どもに転生するというぶっ飛んだ設定」とか、「双子が復讐に燃える理由」とか、「星野アイが隠し通した父親に関する謎」とかはちゃんと描かれるし、さらにそれらが、作中で制作されていく映画『15年の嘘』の撮影の過程で色々分かっていく、みたいな構成によって上手くまとまっていた感じがする。

恐らくだが、僕のように「漫画・アニメ・ドラマに触れず、映画だけ観る」みたいなイカれた人間はまずいないとは思うけど、でも、ちゃんとそういう人間でも「面白い」と感じられるように作っている感じがあって、それは凄く誠実だなと思った。これだけの人気作なんだから、「漫画・アニメには触れているだろう」みたいな前提で作っても全然良い気がするけど、制作陣はきっとそれを諦めなかったんだろう。僕は正直、「ストーリーが全然分からなくても、まあしょうがない」みたいな気分で観に行ったので、思いがけず単体の映画としてもちゃんと成立していて、何にせよそこに「意外さ」を感じたというわけだ。

あと、もう1つ驚かされたのは、「星野アイ役としての齋藤飛鳥は、ちょっと完璧過ぎるだろ」ということだった。

僕は本作を観る前に、『SWITCH』と『Quick Japan』という雑誌の齋藤飛鳥の特集を読んでいた。両誌ともかなり大々的に齋藤飛鳥を取り上げていて、その中ではもちろん『【推しの子】』に関する話もあった。その雑誌のインタビューに先立って既に表に出ていた話ではあるが、齋藤飛鳥は「星野アイ」役のオファーを一度断っていたそうで、その理由を雑誌のインタビューの中で、「あまりにも完璧な存在すぎて、自分が星野アイを演じる意味が分からない」みたいに話していた。僕は漫画を読んでいないので、原作で星野アイがどのように描かれているのかよく分からないが、同雑誌では監督のスミスの話もあり、彼もまた「星野アイをどう描くのかは一番悩みどころだった」みたいに話していたので、齋藤飛鳥の捉え方はそう的外れなものでもなかったのだろう。

ただ、映画で映し出された「齋藤飛鳥演じる星野アイ」は、「まさに齋藤飛鳥が演じるべくして生み出された役」みたいな感じがして、ちょっとビックリだった。「ビジュアル」とか「元アイドルで絶対的センター」みたいな要素ももちろんではあるが、それ以上に、「本当かどうか分からないことを言って煙に巻く」みたいな星野アイの振る舞いも、まさに齋藤飛鳥そのものという感じがした。

齋藤飛鳥は本作の舞台挨拶で、「最近ついた”嘘”は?」と質問されて、「26年の嘘」とフリップに書いた。そもそも僕は、この回答が、作中で制作される映画『15年の嘘』と掛かっていることを今日知ったわけだけど、まあそれはともかく、彼女は「26年間ずっと嘘をつき続けている」という答え方をしたのである。

それは、割とちゃんと齋藤飛鳥を追ってきた僕の認識的にも「確かに」と感じさせるものだった。もちろん、「齋藤飛鳥の嘘」と「星野アイの嘘」は少し違う。いや、「星野アイの嘘」については、映画を観ただけの僕があーだこーだ言うようなものではないと思うが、ただ「星野アイの嘘」というのは、「この嘘がいつか本当になることを願っている」みたいなことであり、正確に表現すれば「本当が無い」と言えるのではないかと思う。「本当が無い」からこそ、何を言っても「嘘」ということになる、みたいなことだ。だからこそ星野アイは、「嘘は愛だ」と言えるのだろう。「何を言っても『嘘』」である彼女が、「相手のための思って口にする『嘘』」は、「愛」以外の何物でもないだろう。

齋藤飛鳥の場合は、そうじゃない。彼女の場合は、たぶん「本当」はあるんだと思う。つまり、「『本当』を口にすることも可能だが、『嘘』をつくことを選択している」というわけだ。こう書くと、なんだか悪く聞こえるかもしれないが、そうではない。齋藤飛鳥の場合、「自分の言動によって、自分と関わる人たちの幸福度が上がるなら、その言動が『嘘』であることを恐れない」と表現できると思う。「本当」を表に出すことで周りが幸せになれると齋藤飛鳥が信じられるならそうするだろう。しかし恐らくだが、彼女はそう感じられない場面の方が多かった。だから、「『嘘をついている』という自分の罪悪感さえ無視すれば、みんなが幸せになる」と考えて嘘をついている、のだと僕は受け取っている。

こんな風に、「齋藤飛鳥の嘘」と「星野アイの嘘」は若干違うわけだが、しかしそれでも、「『嘘をつくこと』が人生の土台を成している」という意味ではかなり近い存在だと思う。そしてだからこそ僕には、齋藤飛鳥が星野アイを演じることがピッタリだと感じられたのだ。

さらに、先に挙げた雑誌のインタビューの中では、「オファーを断った齋藤飛鳥を説得したプロデューサーの発言」についても言及されていた。オファーを断った後も熱心にアプローチを続けてくれた制作側と対面で話す機会もあったそうだが、その際プロデューサーが、「星野アイの暗い部分も描きたいと思っている。だからあなたにオファーしているんです」と言ったそうだ。この言葉がかなり効いて、オファーを受ける方向に考えが傾いた、みたいなことを齋藤飛鳥が話していた。

彼女のファンなら割と周知の事実だが、齋藤飛鳥はかなりネガティブな部分を持っている。恐らく、10代の頃よりは大分ポジティブになったと思うが、それでも、「アイドルとして押しも押されもせぬ人気を誇った人」とは思えないぐらい、ネガティブな部分を抱えているのだ。そして『【推しの子】』の制作陣は、伝説のアイドル・星野アイを生身の人間で描き出す上で、星野アイが抱いているだろう闇の部分も見えるようにしたいと考えていたのである。確かに映画では、双子の父親との関わりの中で、そういう側面が描かれている。「空虚」とでも表現すればいいのか、「内面の虚ろさを外面を取り繕うことで『完璧』になった存在」として星野アイを描き出していて、そこにはやはり、齋藤飛鳥個人が持っている「暗さ」みたいなものも確かに滲み出ていたような感じがした。

とまあ色々書いたが、とにかく、「『星野アイ』を演じる人物として、齋藤飛鳥が完璧過ぎた」という感想がとにかく強い。今の日本に、齋藤飛鳥以外で「星野アイ」役に誰もが納得する存在って、いるんだろうかという気もする。まあ、これは僕の齋藤飛鳥に対する贔屓目も入っているかもしれないが、ただ、シンプルに年齢の話だけに注目しても、「10代後半から20代中盤ぐらいまでを演じなければならない」という制約があるわけで、その上で「伝説のアイドル」としての説得力を醸し出せる人は、そうはいないだろうと思う。

まあそんなわけで、齋藤飛鳥推しの僕としては満足のいく鑑賞だった。

あと、二宮和也はさすがの存在感だなぁ、と思う。ドラマ版を観ていない僕には、二宮和也が何者なのか結局最後まで分からなかったが(誰なのかは分かるが、職業が分からないという意味)、「狂気的になり過ぎない絶妙な狂気」を醸し出していて、凄かった。二宮和也が演じた役は、もちろん狂気の塊だと思うのだけど、でも同時に、「社会の中で上手いことやれるタイプの人だな」という印象も与える。この両立は正直かなり難しいと思うのだけど、二宮和也、メチャクチャ上手かったなぁ。

漫画原作だから別にいいっちゃいいんだけど、でも「狂気的になり過ぎると、漫画的になってしまう」みたいな懸念がまずある。ただ、決してそれだけではない。本作はかなり時間的なスパンの長い物語であり、だから、仮に二宮和也の役があまりにも狂気的に過ぎると、「もっと早い段階で何かしていただろう」みたいに思われてしまう可能性があるように思う。そこを絶妙なラインに抑えていることで、「こういう人間なら、確かにこういうことをしそうだな」という印象になっている感じがある。この役も、漫画ならともかく、「リアルに存在しそう」と思わせる人物として演じるのは相当難しいような気がするのだけど、さすが二宮和也という感じだった。

というわけで、「原作をほぼ知らないで、齋藤飛鳥目当てで観に行った人間」でも面白く観れた。

あと最後にどうでもいい話を。本作では映画『15年の嘘』の撮影をしていて、その準備期間のシーンも映し出されるのだけど、その中で「衣小合せ」という表記が出てくるシーンがあった。観ている時は、「えっ?さすがにこれは誤植だろう」と思っていたのだけど、調べてみると、「衣装合わせ」と「小道具合わせ」と省略した表記なのだそうだ。知らなかった。世の中にはまだまだ知らないことがあるものだ。という、どうでもいい話。

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長江貴士
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