【映画】「シビル・ウォー アメリカ最後の日」感想・レビュー・解説

うーむ、面白かった、のかなぁ。という感じの映画だった。

もちろん、映像の迫力は凄かった。本作は、「報道カメラマン」を主人公にした作品なので、銃撃の最前線で彼女たちがカメラを向ける、まさにそのアングルから「戦争」を体感出来る。もちろん、そんなアングルの映画はたくさんあるとは思うが、本作の場合、「今僕たちが観ているまさにこの情景を、直接目にしている者たちがいるのだ」という感覚で映画を観れるので、その臨場感は一層高まることになる。

しかし、戦争が起こった場合、本当に本作で描かれているぐらい、記者というのはギリギリの最前線にいるものなんだろうか? 僕は時々、美術館でやっている「報道写真展」なんかを観に行ったりするし、ピュリッツァー賞の写真を観たりもするので、「戦場を映した写真」をそれなりには観ているつもりである。ただ、「それを撮っているカメラマン」がどんな状況にいるのかは正直良くわからない。本作は、「最前線に張り付く報道カメラマン」を追っているので、「彼らがどんな状況下で写真を撮っているのか」が分かる。それはちょっと信じがたいものというか、「ホントに?」と感じられるものだった。

そして本作は、「そんな報道カメラマンの視点」から凄まじい現実を映し出す作品であり、そういう意味で「映像の臨場感」は凄まじかった。

ただ、なんというのか、「本作の大前提」を、日本人はアメリカ人ほど共有出来ていない気がして、それでちょっと上手く受け取れなかったのかなという気がしている。

たぶんだが、本作は、「アメリカでは、今まさに内戦が起こってもおかしくない」というアメリカに住む者たちの実感が土台に存在するからこそ成立する映画なのだと思う。何故なら、本作では「何故、どのように内戦が勃発したのか?」という部分の説明は、ほぼ存在しないからだ。

本作では「いつ」に関する情報が少ないのでざっくりした想定になるが、「内線が始まってから相当の時間が経っている」という舞台設定になっている。作中で、「大統領はもう14ヶ月もインタビューを受けていない」というセリフが出てくるので、となれば、少なくともこの内戦は14ヶ月は続いているということになるだろう。

そして、「14ヶ月前に何があって内戦が始まったのか?」に関する描写はない。

また、戦況についてはラジオニュースなどで報じられる程度でしか説明がないのだが、「テキサスとカリフォルニアが独立政府を樹立し、”西武勢力(WF)”として政府軍と対立、ホワイトハウスがあるワシントンDCを目指している」ぐらいのことしか分からない。アメリカについて詳しくないので、もしかしたらアメリカ人からしたら「確かに、テキサスとカリフォルニアだったらそういうことしそうだよなぁ」なんて感じたりするのかもしれないが、僕にはそういう感覚はない。

だから僕からしたら、「何で内戦が起こってるんだよ?」という部分に対する腹落ちが結局最後までなかったのである。

もちろん僕だって、「アメリカでは分断が広まっている」程度のことは知っているし、冒頭で映像が使われているように、「色んなデモ」が起こっていることだって知っている。ただ、そこから「内戦」はやっぱりちょっと飛躍するなぁ、という感じである。

もちろんこの辺りは、アメリカに住んでいる人とは大分感覚が異なるだろう。たぶん、アメリカに住んでいる人には「内戦はかなりリアル」なんじゃないかと思う。そして、僕にはそう感じられなかったからこそ、そこがずっと引っかかってしまった。

だから、「内戦が起こったんだ」という部分を無条件に受け入れられれば、本作はかなり楽しめるんじゃないかと思う。ただ僕みたいに、「内戦なんて起こるかねぇ」と思っている人には、そもそもこの物語をリアルに受け取るのが難しくなる。その辺りは、どうにもしようがないとは言え、ちょっと残念なポイントではあった。

ただ、じゃあ「内戦の勃発から描けば良かったのか」というとそうでもない。本作の、「内戦が長期化し、それが既に日常になってしまっている世界」で展開されるからこその面白さもある。特にそれは、ワシントンDCへと向かう一行が途中で寄ったある街の風景から感じ取れるかもしれない。その街では、「今まさにアメリカで内戦が起こっている」とは思えないような静かな日常が広がっていたのだ。この街はニューヨークとワシントンDCの間にあるはずで、恐らく色んな地理的な条件からたまたま戦闘に巻き込まれていないのだろうと思う。そしてそこは、恐らく内戦が始まってからずっとそんな感じだったのだ。

この「内戦に無関心な街」の異様さは、「内線が長く続いている」という背景があるからこそ浮かび上がるわけで、そして本作には他にも、上手く説明は出来ないが、そういう背景によって炙り出されるものが描かれているように思う。そもそも本作は全体的に「諦念」によって支配されている感じもあって、それは「政府軍が負けるかもしれない」という観測によるものなのだが、これも「内線が長く続いているから」こその設定だろう。

では、そんな状況下で、ニューヨークにいた記者たちは何故ワシントンDCを目指すことにしたのか。この点に関しては、記者たちが集まるニューヨークのホテルで繰り広げられた会話が興味深かった。

主人公のカメラマン、リー・スミスと、その相棒らしいジョエルは、ニューヨーク・タイムズの記者であるサミーと話をしていた。リーはサミーに「ワシントンDCへと向かおうと思う」と言うのだが、それに対してサミーは「前線に行くつもりなのか?」と返す。この時点で、西武勢力はワシントンDCの200kmのところまで迫っており、ワシントンDCは既に前線になっていたのだ。

しかしリーは「NO」と返す。これは「前線の取材に行くわけじゃない」という意味だったのだが、サミーには上手く意味が読み取れなかった。それはそうだろう、何故ならリーとジョエルは、「14ヶ月もインタビューを受けていない大統領に話を聞きに行く」ためにワシントンDCを目指すことに決めたからだ。そう、「前線」ではなく「大統領」の取材をするから「NO」と答えたというわけだ。

こうして彼らは、ニューヨークからワシントンDCを目指すのである。

さて、ニューヨークを出発した時点で「DCまで1379km」と表示されたので、僕はてっきり、これがニューヨークとワシントンDCの直線距離だと思っていたのだが、どうもそうではないようだ。調べると、直線距離だと約340kmだそうだ。リーがサミーにワシントンDCまで行くルートを尋ねた際、サミーは「州間道路は封鎖され、あの道もダメだから云々」みたいなことを言っていたのだが、要するに「だいぶ遠回りしないとワシントンDCにたどり着けない」ということなのだろう。この辺りの地理的な不案内も、本作を観る上では多少障害になるなと思う。

本作は先程触れた通り、基本的には「報道カメラマンを主人公にした物語」だ。「戦争そのもの」ではなく「戦争を誰にどう伝えるか」みたいな信念の部分がベースになっていく。4人の男女がワシントンDCへの旅路へと向かうのだが、彼らにはそれぞれ異なる動機がある。

23歳のジェシー・カレンは、リーと同じ名前を持つリー・ミラー(調べたら実在した人物のようだ)という報道カメラマンに憧れてこの道に進んだそうだ。リー・ミラーは、強制収容所があったドイツのダッハウに最初に入った報道カメラマンだそうで、その他にもいくつもの功績を残しているそうだ。そしてそんな女性に憧れて、ジェシーは戦場カメラマンを目指して奮闘しているというわけだ。

ニューヨーク・タイムズのサミーは、はっきりとは分からなかったが、恐らく「長年生きた者としての使命感」みたいなものから、「この現実を無視できるはずがない」みたいな感覚を抱いているんじゃないかと感じた。彼は多くの人から慕われているようで、彼のそういうスタンスが人を惹きつけているんじゃないかと思う。

主に運転手を買って出るジョエルは、ちょっと特殊である。それが本心なのかは定かではないが、夜間、そう遠くない場所で砲撃が行われている様子を目にした彼は、「あの銃声が猛烈に俺を勃起させるんだ」と口にしていた。もちろん、「これから戦場入りする面々の気持ちを軽くするためのジョーク」と捉えるのが妥当なのかもしれないが、このセリフ以外に、ジョエルが戦場へと向かう理由が分かるものはなかったように思うので紹介した。

さて、個人的には、リーのあるセリフがとても印象的だった。彼女もまた、「ANTIFAによる虐殺」を写真に収めたり、「マグナム(あのロバート・キャパが設立した写真家集団)に最年少で入った」という凄い実績を持つ写真家という設定で、これまでもアメリカ以外の様々な戦場で写真を撮り続けてきた。

そんな彼女が、「何故戦場の写真を撮り続けてきたのか」についてサミーに語る場面がある。彼女は、

【戦場での写真を撮る度に、祖国に警告しているつもりだった。「こうはなるんじゃないぞ」と】

と口にしていたのだ。しかし結果として、アメリカで内戦が起こってしまった。

つまり、厳密に言えば、リーは既に「戦場の写真を撮る動機」を失った状態なのである。この点は、リーの作中での行動を理解する上で割と重要かもしれない。繰り返すが、リーは「アメリカ国内で戦争が起こらないこと」を願いながら戦場で写真を撮り続けてきたのである。しかし、最悪の事態は起こってしまった。そんな彼女にとってはもう、「目の前の戦争を何のために撮ればいいのか分からない」という状態になっているだろう。

登場人物たちはほとんど、自身の内心を口にしない。だから、「リーがそんな風に思っているはず」というのも、僕の勝手な想像に過ぎない。ただ、後半のリーのあり方を見ていると、「絶望が臨界点を越えた」みたいな感じがするし、それ故にラストのあの瞬間にも繋がってくのかなという気もする。

さて、「登場人物がほとんど内心を口にしない」というのも、「内戦が長期化している」という本作の設定を一層リアルに見せている感じがする。つまり、「こういう場面でなら普通こういうことを言うだろう」みたいなセリフが想像出来たとしても、彼らにとってそれは「この14ヶ月以上の内戦期間の間に何度も感じたし、何度も口にしたこと」なのであり、そしてお互いにそれが分かっているからこそ「何も言わない」という選択をするのだと思う。

しかしやはり、「彼らにとってとても悲劇的な出来事」が起こってしまった時には、少し違った。キャラクターによって程度は様々だが、恐らくそれまで感じたことのない何かを感じ、「何か言わないと」という気分になったのだと思う。

ただ個人的に印象的だったのは、ジェシーが非常に抑制的だったことだ。恐らくだが、ジェシーには思うところが色々とあったと思う。もし僕がジェシーの立場だったら、ちょっと耐え難いと感じてしまうような状況にいる。しかし彼女は、冒頭で「同じミスはしない」と言っていたように、「戦場カメラマンとしてやっていくための覚悟」を、この旅路で獲得しようとしている。恐らくそういう気持ちから、かなり踏ん張って抑制的に振る舞っているのだと思う。そして、そんな「覚悟」が、ラストのあの瞬間にも発揮され、あのようなシーンになったんだろうなと思う。

さて、映画を観ながら他に感じていたことは、「撮影、大変だっただろうなぁ」ということだ。夜のシーンは、大規模なセットを組んだんだろうなとなんとなく想像出来るのだけど、昼間のシーンはなかなかそうはいかないような気がする。まるっとCGという可能性もあるかもしれないけど、「乗り捨てられた車が道を塞ぐ道路」や「車内から見える崩れた建物」、あるいは「グラフィティで埋め尽くされたスタジアム的なスペース」なんかは、CGじゃなくやってるとしたら結構大変だろうなと思う。公式HPには「今や世界を席巻するA24が、史上最高の制作費を投じ、」と書かれているので、相当金を使ったのだろう。

日本の場合、「渋谷のスクランブル交差点をグリーンバックで再現できる撮影所」が栃木県にあったりするが、同じようにアメリカにも、ニューヨークやワシントンDCを再現できる場所があったりするんだろうか。そういう「撮影の裏側」も気になるところだ。

あと最後にどうでもいいことを1つ。エンドロールに「SONOYA MIZUNO」という日本人的な名前が表記されたので調べてみたら、「ん?こんな人出てきたっけ?」という女優の写真が出てきたのだけど、さらに調べてみると、女性の従軍記者役の人だった。黒縁メガネを掛けてる役だったから全然印象が違っていた。日経イギリス人女優だそうだ。

この記事が参加している募集

サポートいただけると励みになります!