【映画】「十一人の賊軍」感想・レビュー・解説
なかなか面白い映画だった。155分もあるとは思っていなかったが、飽きずに見させられた。しかも、エンドロールを観るまで知らなかったのだけど、原作書いてるの冲方丁なのか。そりゃあ面白いよなぁ(と思ったんだけど、どうやら、ノベライズ版の作者が冲方丁っていうことのようだ)。
物語は1868年、日本が戊辰戦争の真っ只中にある時の新潟で始まる。当時日本は、「官軍」を名乗る新政府派が、旧幕府軍を「賊軍」と呼び、力尽くで駆逐していた。鳥羽伏見の戦い、江戸城開城、長岡城の戦いなど各地で官軍と賊軍の闘いが続く中、新潟にある新発田藩の家老・溝口内匠は追い詰められていた。
新発田藩の周辺の藩は奥羽越列藩同盟と称して賊軍に協力すると共闘していたのだが、新発田藩だけが態度をはっきりさせていなかったのだ。新発田藩の当主はまだ子どもで、そのため家老の溝口が主に藩を取り仕切っていたのだが、当主が「官軍の勝ち馬に乗ればいい」という方針で、周囲の藩とは別のスタンスだったため、溝口はその対応に苦慮していたのである。奥羽越列藩同盟からは「新発田藩も早く合流しろ」とせっつかれるのだが、当主の方針と異なるためのらりくらり躱すしかなかったのだが、いよいよ彼らから、「明日にでも決断しなければ裏切りとみなし、新発田に攻め入る」と通告を受けてしまった。
一方、官軍は新潟での闘いにおいて、新潟湊が重要だと見抜いた。そこから武器を陸揚げし、水路や陸路で届けているからだ。もちろん、その重要性は彼らも理解しており、守りも頑丈なのだが、彼らは、新潟湊の周辺を守っている新発田藩に目を付けた。つまり、新発田藩さえ取り込められれば新潟湊を手に入れられるというわけだ。そんなわけで官軍は使者を通じて新発田に向かうと伝えた。
さて溝口は判断に迫られた。賊軍に入らなければ新発田に攻め入られるが、さりとて、賊軍に入ると言っても、すぐに官軍が藩内にやってきて賊軍と鉢合わせてしまう。そうなれば、城下で戦闘が起こり、住む者への被害が甚大なものとなる。それだけは絶対に避けたい。
そこで溝口は一計を案じた。奥羽越列藩同盟には賊軍入りすると伝えた上で、彼らが新発田から出て出陣するまでどうにか官軍の到着を遅らせ、賊軍と官軍が鉢合わせないようにした上で官軍を迎え入れようというのだ。こうすれば、官軍入りを果たしつつ、新発田藩内での戦闘も避けられる。
しかしそのためにはクリアしなければならないことがある。「新発田藩の仕業と思われないように官軍を足止めする」必要があるのだ。そこで集められたのが罪人たちだった。牢屋に入れられていたり、まさに処刑の寸前と言った罪人たちを集め、官軍の盾にしようというのだ。彼らは、吊り橋を渡らなければならない要所に砦を築き、官軍の足止めをするように言われた。新発田の領内から賊軍が立ち去ったら狼煙が上がる手筈になっている。長くても2日だろう。それまで耐え凌げばお前たちは無罪放免だ。そんな風にそそのかされて、彼らは山奥へとやってきた。
罪人の中には剣の使い手や辻斬りもいるが、大半は武器など持ったこともないような者ばかり。それに罪人の1人である政は、新発田の武士に妻を犯され、その復讐ための殺人を犯して捕まった身であり、新発田のために働く気などさらさらない。そんな面々で出来ることなど少ないはずだが、「吊り橋を渡らなければたどり着けない」という地の利を活かしてどうにか踏ん張るつもりでいた。
しかし彼らの目論見は、最初から崩れることになり……。
歴史に詳しくない僕は映画を観た後で調べて初めて知ったけど、「新発田藩が裏切ったこと」は歴史的な事実だそうだ。もちろん、本作『十一人の賊軍』のストーリーはほぼ創作だとは思うが(時間稼ぎのために罪人を使った、みたいな部分から創作なんじゃないかと僕は思ってる)、大枠の部分が事実をベースにしているところがリアリティの担保になっているんだろうなぁ、と思う。
本作は、まあ豪華な役者がバンバン出てくるのだけど、「主人公」と言われたらやはり、山田孝之演じる政になるんじゃないかと思う。そしてこの政が、主人公とは思えないような振る舞いをする。普通「戦争」が舞台になっている物語であれば、「こんな感じの人物が主人公だろう」と想像するイメージが存在すると思うが、本作はそれをすべて裏切ってくる。
ただ、それがいいんだろうなと思う。
「戦争」が舞台の場合、「僕らが普段『間違っている』と感じていることが『正しい』ことになる」ことが多い。人殺しなど、その最たるものだろう。そして当然だが、普通は、「戦争における『正しさ』が描かれる」という展開になることが多いだろう。しかし政は、どちらかと言えば、「現代を生きる我々と近い感覚の『正しさ』」を持っている人物であるように思う。だからこそ、作中物語の中では浮きまくっているのだが、観ている我々は共感できる、ということになる。
それと対照的なのが、仲野太賀演じる鷲尾兵士郎だろう。彼は「戦時中の『正しさ』」を全力で体現する人物であり、そういう意味で、政は他の罪人たちとは対立する立場である。しかし様々な状況が展開される中で、当初は対立していた者たちが少しずつ同じ道を歩む展開になっていくのが物語的にも見どころと言っていいだろう。
しかし、政を含めた罪人たちは、「国を守る」みたいな気概は全然ないわけで、「無罪放免を勝ち取るため」、そして「自分が死なないため」にしか闘う動機がない。だから全然やる気がないわけで、「バリバリの戦争映画」の登場人物としてはメチャクチャ不自然な感じがする。ただ、「罪人である」という彼らの拭いようのない性質が、その不自然さを覆い隠していて面白い。
それに、やる気がないだけでなく、強くもないわけで、「そんな状態で、大砲をバンバン撃ってくる官軍を足止めするなんて無理だろう」と思うのだけど、そこは上手く展開させるんだよなぁ。よく出来ている。圧倒的な不利を、知恵と勇気と犠牲によって五分五分までに持っていく物語は、舞台設定や人物設定を上手くやったなぁ、という感じだった。
その中でもやはり、異質中の異質であるノロのキャラクターが絶妙だったと言えるだろう。「とある事情から親兄弟にボコボコにされたせいで知恵遅れみたいになってしまった」という設定で、まともに喋れないし、挙動不審だし、政のことを既に死んだ兄だと思い込んでいるしで、とにかく変な奴である。
しかしそんなノロが、物語においてメチャクチャ重要な役割を果たす。どう重要なのかは是非観てほしいが、「政のことを兄だと思い込んでいる」のと「ノロが持つ特殊技能」が戦況を大きく変えたと言っていいだろう。
さて、個人的にちょっとよく分からなかったのはなつである。いや、なつはキャラクター的には良かった。恐らく間違っているのは僕の理解での方で、僕はてっきり「政となつに因縁がある」と思い込んでいた。つまり、「なつが罪を犯した原因が政である」と思っていたのだけど、たぶん違うのだろう。もしそうだとしたら、あんな親しげな関係にはならないはずだ。ちょっとこの点を勘違いしていたこともあり、僕は勝手に「この2人はどうして仲良くしているのだろう?」と疑問を抱いていた。こういう時に、人の顔を認識して覚えられない性質が如実に影響してくるんだよなぁ。
あと印象的だったのは、「ジジイが強ぇ」ってこと。あのジジイはかっこよかったなぁ。いやまさか、あのジジイがあんなに強いとは思わなんだ。
155分とちょっと長いけど、なかなか面白く見れるどエンタメ映画だと思う。