【映画】「籠の中の乙女 4Kレストア版」感想・レビュー・解説

なかなかにイカれ狂った映画だったなぁ。『哀れなるものたち』や『憐れみの3章』などのヨルゴス・ランティモス監督の作品。4Kレストア版が上映されていたので観てみた。

観始めてしばらくの間は、正直、なんのこっちゃさっぱり理解できなかった。冒頭のシーンはこうだ。3人の男女(後に3きょうだいと分かる)が録音されたテープを聴いている。恐らく、母親の声である。「今日学ぶ単語は、『海』『高速道路』『遠足』『カービン銃』」と始まるのだが、それぞれの意味がメチャクチャだ。「海」は「革張りのルームチェア」、「高速道路」は「とても強い風」、「遠足」は「固い建築資材」、そして「カービン銃」は「きれいな白い花」と言った具合である。そして3きょうだいは、その説明を普通に聴いている。後で分かることだが、彼らはこの説明を「事実」だと信じているのである。

その後、目隠しをさせられたまま車に乗った女が映し出される。やがてある場所(それは3きょうだいが住む家である)に着き、目隠しを外す。連れてきたのは、父親だ。そしてクリスティナという名のその女性を長男の部屋に連れてくる。そしてそのまま2人はセックスを始めるのだ。これも後で分かることだが、長男の性欲処理用に、父親が雇った女性なのだ。

この辺りの段階ではまだ、一体何が起こっているのか分からないままである。だからとにかく、奇妙奇天烈にしか感じられない描写が続く。

そしてしばらくしてようやく事情が分かる。

ある場面で、父親が家の敷地に入る前に、自分のシャツに血(のようなもの)をつけ、さらにナイフでシャツを切り刻んでいた。相変わらず、何をしているのか分からない。そしてその後、3きょうだいに「お前たちのきょうだいが塀の向こうで死んだ」と宣言する。恐ろしい動物に食われたという設定で、血まみれにしたのもそのためである。で、父親は3きょうだいにこう宣言する。

【無防備に外に出なければ安全だ】

ここでようやく、状況が把握できる。つまり両親は、3きょうだいを外界から完全に隔離して育てているのである(嘘の意味を教えていた単語はすべて、外の世界にしか存在しないものだ)。ただ、その意図は不明だ。父親だけでなく、母親も積極的に協力している(つまり、父親に無理やりやらされている感じではない)ので、両親の子育ての方針ということなんだろうが、ちょっと常軌を逸している。

なにせ、登場人物に名前が無いのである。観終えた後で、「そういえば、3きょうだいってなんて名前だったっけ?」と思い出そうとして、まったく思い出せなかった。Wikipediaには「子どもたちに名前すら付けず」と書かれている。作中では、クリスティナ以外に名前が呼ばれる登場人物はいなかったと思う。ちょっとヤバすぎる。

ただ、外の世界のことを知らなくても、別に3きょうだいは楽しそうに暮らしている。まあそりゃあそうだろう。「知っているのにアクセス出来ない」のではなく、「そもそも知らない」のだ。想像すら出来ないし、「自分は多くのものを欠落している」などという感覚にもなりようがない。「両親が死んだらアウトだろう」ということ以外に、問題らしい問題は無い気もする。

しかしそのままでは物語はやはり展開していかない。本作においては、唯一名前を持つクリスティナが、結果としてかなり重要な役割を果たすことになるのだ。そして、ほんの僅かな亀裂だったかに思えたその行為が、結果として「帝国の崩壊」と言っていい状況に繋がっていくのである。

さて、本作を観ながら僕は、映画『ルーム』を思い出した。実際の誘拐・監禁事件をモデルに据えた作品だ。誘拐された女性が男に監禁されており、さらにその男との子どもを出産させられた。生まれた男の子は、ずっとその狭い「へや」が世界のすべてだと思って生きている。「へや」にはテレビもあるのだが、母親は「テレビで映っているのは別の世界の話。このドアを開けたら死んじゃうよ」と言い聞かせている。そんな2人が、どうにかこうにか換金場所から脱出するのだが、ずっと「へや」で生まれ育った少年は、むしろ「当たり前の世界」に対して困惑することになる……。

という物語だ。

「外界から完全に閉ざされている」という点は共通しているが、作品の趣は大分違う。個人的には、映画『ルーム』の方が好みだ。やはり、「『へや』を出た後の少年が抱える葛藤」という部分が実に興味深かったからだ。本作は、閉ざされた空間における狂気をひたすら描き出しており、それはそれで面白いのだけど、やはり「狂気」というのは「平常」と比較するからこそよりヤバさが際立つわけで、本作にはその「平常」が足りなかった。もちろん、「『平常』を描かない」というスタンスで作った物語だと思うし、それはそれで良いと思うのだけど、僕の好みとしてはちょっとという感じだった。

ちなみに、邦題は『籠の中の乙女』だが、原題(の英訳)は『Dogtooth』、つまり「犬歯」である。確かに「犬歯」ではお客さんは呼べないかもしれないけど、しかし、純粋に「作品に見合ったタイトル」という意味で言えば「犬歯」の方がベストだっただろう。タイトルが「犬歯」だったとしたら、ラスト付近でのあのシーンのインパクトがより際立つように思う。初め何をしているのか分からなかったのだけど、その意図に気付いた時は「うわっ!」と感じた。本作を通じて積み上げられた「狂気」が、あの瞬間一気にぶわっと解き放たれたみたいな感じがあって、めちゃくちゃインパクトがあったし、凄く良いシーンだったなと思う。『籠の中の乙女』だと長男が含まれていないことになっちゃうし、ちょっと微妙ですよね。

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長江貴士
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