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正しい思い出。
あけましておめでとうございます。
私、日記を毎日書いております。するとですね、過去の出来事を書くことがあるんですが、果たしてそれは真実だったかしらと、文字にして残す瞬間に、ふと不安になります。
それがほんの少し前の話なら、なんなりと確認の方法もあるんですが、それなりに昔の話になると、どうだったかしらと誰に聞いても、みんなうろおぼえだったりします。
先日、一族での集まりがあり、母親にあれやこれやと確かめてみると、年齢の割に母親は記憶していて、こうだったああだったと教えてくれました。しかし、父親に関してはもはや年齢がどうのこうのとか言う次元ではなく、ただただボケていて、会話そのものが噛み合いませんでした。
そして1つ上の兄様に関しては、覚えているのか何なのか分からないけどとにかく、知らん知らんとしか言いません。彼は人生の8割方は政治家バリに知らぬ存ぜぬで突き抜けられると信じているようです。
というわけで、記憶は年々、曖昧模糊となっていきます。そして、悪い場合は都合のいいように歪曲されたり、兄様のように、もう忘れたと一刀両断されてしまう事もあります。
悪いことは言いません。今日からみんな日記を書きましょう。記憶に頼るのはやめましょう。文字に残しましょう。遺書書きましょう。