公共性ってなんぞや。
こんにちは、文化屋の梢です。
いつか、#C(シャープシー)のホームページ内で書いた"公共性"についてここにも載せようと思います。確か、3年くらい前。
というわけで、初ノート投稿です。
半年くらい大学で勉強している公共性について書こうと思います。
公共性とはそもそも、”誰もが利用できる”ことが定義の1つだったりします。
公共の施設とかってよく言いますよね。劇場とか図書館とか。
でもそれってほんとうに”誰もが利用できる”のでしょうか?
ちょっとピンときませんよね。
例えばですが、ホームレスの人について考えてみましょう。
仮にホームレスの人が図書館を訪れたとします。するとどうでしょう?
彼らはお風呂に入っていないことが多く、変な匂いがするかもしれません。
もしかしたら、図書館に必要なマナーやモラルを知らないかもしれません。
自分とは”ちがう”その人にびっくりするかもしれません。
「なんで来たんだ」
そう思ってしまう人がいるのではないでしょうか。
けれど図書館は”誰もが利用できる”場所なのです。
最近で言うと、外国人のモラルについても問題になることが多いですよね。
そうなんです。公共の施設って、”誰もが利用できる”場所とは限らないんです。
劇場で考えてみると、演劇やコンサートに来る人々しか利用しないんです。
劇場を利用する目的がある人々は、金銭的に余裕がある人々に限られます。
けれど芸術分野において、金銭的余裕のない人々こそ享受すべきという考えがあります。
”誰もが利用できる”場所とはどんな場所なんでしょうね。
公共性を考えるときに必要なのは、「何故」という視点なような気がしています。
なぜホームレスになってしまったんだろう。
なぜモラルを知らないんだろう。
なぜコンサートに行ったことがないんだろう。
なぜ金銭的余裕がないんだろう。
そこには何かしらの背景が存在します。
それをわからないなりに考えるのが、「公共性を考える」ことにつながるのかもしれません。
ちょっと長くなってしまいましたが、
公共性を知ることは、他者を理解することと似ているような気がします。
そうすることで、みんなが呼吸しやすい未来が待っているかもしれませんね。
そんなことを勉強しています。難しいですが、自分の足りない部分に気づかされる分野です。
これは齋藤純一先生の「公共性」を読んで、かなり影響を受けていた頃に書いていた気がします。多様性やダイバーシティやSDGsなんか言われる時代になりましたが、公共の場や公共性の在り方はどうなっていくんでしょうね。
それでは。
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