お蚕さま の響きは小学校学びのマスト /少年よ少女よ大志を抱け
小学校入学と近い時期に沖縄が返還された。
幼稚園当時、沖縄はアメリカだったのだ。
そういう時代の中にいることを社会の授業で学んだ。
戦争を知らない子供たち がよく流れていた。
それより記憶に深いのが お蚕さま である。
美しい光沢を纏う絹は お蚕さまから、繭から、生み出される。
お蚕様 は 敬称が嘲笑しているかのような形態、ギャップ萌えの元祖である。
かなり昔は神様のような有り難い存在で多くの人間の生活を支えていた。
家のそばと通学路に桑畑があった。
お蚕さま は桑が大好物なのだ。
小学生 は植物に敏感である。
四季どころか数日で変化する そのさまに生きていることを認識する。
動物とは違い、一切暴力的な反撃をしてこないのをいいことに揉んだり折ったり、抜いたり、悪行を重ねた。
若気にも満たない幼気の至りである。
桑畑 だけは仲間同士の申し合わせで荒らさなかった。
荒らせなかった。
母にも同じことを言われていたからだ。
桑の子供受けしそうな独特の匂い は お蚕さまを惹きつけるため だと。
お蚕さま から繭が作られ、美しい絹を生み出す。
お米一粒には7人の神様がいるから一粒たりとも茶碗に残らないよう綺麗に食すように、と同じぐらい記憶に深い。
ベランダのバジルの葉がバッタの赤ちゃんに齧られると、たくさん食べて元気に大きくなるんだよ と声をかける。
小学校の授業というのは、こういうことなのだと思う。
お蚕さま が何を食すかマス埋めで点を付ける材料にするのではなく、昆虫や植物が今の恵まれた生活に密接していることを心に染み込ませるのが授業だ。
桑畑に敬意を持ったか否か が本質で、連想ゲームのように書き込んだ言葉が大人の満足感を刺激したか、教師としての充足感を満たしたか否か は重要なことではないのだ。
能ある鷹は、に続く答えに、空欄で提出するぐらいの心意気が大事なのだ。
自慢げに意気揚々と 爪 を見せているのは誤答だ。 正解は隠す のだ。
爪はそんな簡単に見せられませんよ と答じても良いだろう。
甘んじて大人の誘惑にのってはいけないのである。そして それを見越して ○を付けた大人だけが対等なのだ。それぐらいの心意気が大事だ。
答えや点数、○か×か は大した問題ではない。
お蚕さま の響き、意図が伝わると やさしい方へ、感謝へと視界が拡がる。
過去へ 左右へ 未来へ 四方向へ。
蜂による送受粉がないと花は次の花を咲かせられない。
植物がないと人間は生きていけない。
こういうこと を学んだのが お蚕さまなのだ。
そして生み出された絹の美しさ。日本独特 などスケールの小さな美しさではない。なんたってシルクロード というぐらいのスケールである。
人類へ及ぼした影響は計り知れない。
そんなシルクの美しさに魅了され、現代の生活に溶け込むよう洗練されたセンスでストール、スカーフを展開するPINKMOOS SILK STUDIOからA&Wアイテムをピックアップ。
オールシーズン、用途はそれぞれのセンスで無限に拡がる。
デザイン、カラー、フォルム、巻きかた、羽織りかた を人間がアレンジできる懐の広さを残しながら 唯一敵わないのが素材感である。
触れた瞬間の心地よさ、優しさ、強さ、儚さ。
この素材感を楽しむことで母、祖母、ご先祖様へと遡ると必ず接点のあるお蚕さま から先人が受けた恩恵が心に沁み入るのである。
小学校教室最後方の廊下側には昆虫ケースに入った お蚕さま がいた。
縦の糸と横の糸で織りなす布はいつか誰かを暖めうり、電車の冷暖房から誰かをまもるかもしれない。
そして、
♪ モスラ~や モスラ ♪ と、はしゃぎまわっていた過去の男の子たち は、母へ、妻へ、パートナーへ、恋人へ、子供へ、姉妹へ、お蚕さま の恩恵に享受した昔話しを各自アレンジした上で シルク100%の素材感を大切な人に贈るのである。
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