熊野古道の花を見つめ続けて50年。御年93歳の現役カメラマンによる作品集!
和歌山県田辺市本宮町は熊野本宮大社のお膝元。そこに生まれ育ち、特定郵便局長を務めながら、郷土の花を調べ尽くそうと撮影に没頭。いま、穏やかな写真が集まりました。ふとこぼれた過ぎた時間への想い、花々へのまなざしを感じるひとことも添えて。
前書き「郷土の花に魅せられて」より
生地の和歌山県田辺市本宮町(旧本宮町)ので特定郵便局の業務を担っていた頃、旧本宮町四村の村長だった西律さん(故人)と、「わしらで四村の花を調べたろか」、「そうやええのう」と意気投合して以来、生地周辺の草花を撮り始めた。
西さんは熊野古道「熊野九十九王子」の遺跡調査で尽力した方で、その郷土への強い想いに刺激を受けつつ、野山を徘徊した。写真撮影は好きであったが、これほど撮影にのめり込むとは思いもよらぬことだった。
白黒のフィルムからカラーになり、スライド写真(ポジフィルム)を使うようになってからは、撮影方法に苦心した。光の強弱を計る露出計もない時代であったから、最初は露出が合っているだけで喜んだもの。
やがて、草花の撮影はそんなに容易(たやす)いものではないことを知らされた。花が咲く時期さえ手探り。風が吹けば揺れて焦点が合わない。白や黄色い花は晴天の日は露出が飛んでしまう。曇った日を「ええ天気や」というようになり、「おかしな人」と思われたことだろう。撮影のためのタイミングがある程度分かるようになったが、最近は温暖化の影響だろうか、開花時期が読めない年が増えつつある。年によっては開花が10日以上もズレることがあって、撮影チャンスを逃さないためにも足繁く野山に通うようになった。
花の写真を撮影していると、幼い頃のことを思い出す。例えば、オウレン(黄蓮)の仲間。小学2、3年生の頃、祖父の納屋の日陰に吊るされていた。薬草として売られるもので、商人が引き取りに来た時には、叔母に知らせたものだ。銭単位で売られていたと思う。
悪戦苦闘しながらも撮影を始めてから40年が経った頃、地元の新聞社紀伊民報から「熊野花草志」と題して出版する機会を得た。一応の一括りであった。
郵便局を退職後に、自由な時間が増えると、それこそ毎日のように野山に向かった。カメラもデジタル化され、撮影枚数は飛躍的に増えた。もっともパソコンでの写真現像も覚えないといけなくなり苦心するが、撮影への熱はなかなか冷めようとしなかった。
だが、高齢となって足腰が弱くなった。子供たちの勧めもあり、海岸近くの街、新宮市に移住した。今まで撮影してきた草花が身近で見られなくなり残念であったが、これまで見たことがなかった草花との新たな出会いに、いろめきたった。
病気で寝込むことがなかったが、82歳で胃を全摘出して以来、心臓手術、盲腸炎など相次ぐ病魔に閉口した。90歳を越えてからは、歩くのにも杖が欠かせなくなった。老いた。車の運転も控えるようになった。幸いにも、私の子供と同い年の自称「暇人」の同行を得て野山を駆け回っている。
もう少し撮っていたい。そんな願いは自然の掟からは、永遠ではない。撮れなくなる日が来ることは視野に入っている。でも、もう少し。もう少し。
著者の撮影仲間が本書の紹介動画をつくってくれました。
合わせてご覧下さい。
『熊野古道花しるべ 和玉好視写真集』
和玉好視 著 A5判 160ページ
ISBN 978-4-8299-7925-9
定価3,300円(本体3,000円+10%税)