「また見つかった、何が、永遠が、太陽と溶け合う海が」
ランボーの活躍は16~19歳の3年間のみで、
そのころは丁度日本での明治維新と重なる。
高橋是清と同い年である。
プラモ部屋の本棚の、2列陳列の奥の方に埋もれていたので、さっき発掘してきた。
「飾画」のある詩には水力発電がどうのこうのって描写があったので、
この人が全く当時の科学技術みたいものは見てなかったかというとそうでもなく、巨視的にみれば、やはり産業革命期の枠の中にはいた、ということが分かる。
いい変えれば、水力発電がもう発明されたころに、
この人は青春を送っているわけで、
それほど今と変わらぬ歴史の中に生きていたわけであり、親近感がわく(そう考えると、ヴェルレーヌすら最近の人に思えてくるから不思議だ)。
小林秀雄の訳文にはクセがあり、
「獄道」とか、今となっては語句の意味的によく分からない所もある。
今思い出したが、堀口大学の訳のランボー詩集を持って、よく電車通学していた。
窓外に広がる田んぼの世界は、ランボーと似合わないようで、「感触」あたりは、そうかもっていえる景色だった(畦道がね)。
折角発掘したので、まぁちょっとは、また読んでみようかな。