フーズ・ワールド・イズ・ディス?――ヒップホップと現代世界――
第五回 廃止主義のために 韻踏み夫
「私はときおり、この世界全体は/ひとつの大きな監獄の敷地なのではないかと考える/私たちのうち幾人かは囚人で/私たちのうちの残りは看守だ」。世界は監獄化しており、かつそれにしたがって人々は囚人と看守に二分されているのではないかという予感。この素晴らしいエレジーが書かれたのは七一年だが、いまやますますこの感触は強くなっているのではないだろうか。「主よ、主よ、奴らはジョージ・ジャクソンを地面に横たえました」!
「合衆国で生を享け、幸運にも十八という年齢を過ぎるまで生き長らえた黒人は、監獄行きがどうしても逃れられないことだと思いこませられる。(……)ぼくは監獄に行く準備ができていた。それには、精神に多少の調整をほどこせば足りたのだ」。ジョージ・ジャクソンはたった七〇ドルの窃盗で十年以上を監獄のなかで過ごすことになり、七一年に看守に射殺された人物である。刑務所における抑圧に抵抗した活動家、革命家であり、ブラックパンサー党サン・クェンティン刑務所支部を率い、「ソルダッド・ブラザー」と呼ばれた。
ジャクソンは言う。合衆国における政治的、社会的、経済的な生活に人種主義の刻印がぬぐいがたい以上、また「犯罪者と犯罪が物質的・経済的・社会的原因から派生する」のであるならば、「われわれは犯罪学と刑罰学のすべての文献を燃やしてしま」ってもいいだろう。
ジャクソンは監獄という権力の作動を支える知としての、犯罪学、刑罰学の虚偽に気づいていた。犯罪学は、囚人の精神的欠陥なるものを作り上げ、精神医学と結びつき、彼らへの攻囲を強くする。刑務所は囚人を人間として「養育」し、規範を教え込み、社会に再び適合できるようにすると言うが、事態はむしろ真逆である。「ここを出ていく人間で正常な人間は存在しません。かりにここを出られるとしても、ぼくに残されているものは何もないでしょう。(……)ぼくはあまりにも長きにわたって飢えていました。怒りにかられることもたび重なりました。あまりにもひんぱんに嘘をつかれ、侮辱をこうむりました。奴らはぼくを、もはや引き返すことのかなわぬ線の彼方に押しやったのです」。
こうしたジャクソンの洞察と、ミシェル・フーコーの監獄、処罰、規律・訓練をめぐる一連の仕事とが響き合っているように感じられるのも、その「六八年」という同時代性はもとより、そもそも監獄情報グループ(GIP)からのパンフレット『耐え難いもの』の第三号として『ジョージ・ジャクソンの暗殺』が出されていることからも、ある種の必然だと言いうるかもしれない。ジャクソンは監獄のなかにあって正当にも犯罪学と刑罰学を批判したが、フーコーもまた、処罰をめぐる権力と知の関係をも問おうとしていた。
フーコーの監獄についての問いの中心にあることの一つは、なぜ、多種多様でありうる処罰――かつての壮麗で、儀式じみた身体刑の数々――に代わって、監獄という「抽象的で単調、硬直した処罰システム」が登場し、一挙に全面化したのか、ということだった。あらゆる犯罪が画一的に投獄をもって罰せられるとはどういうことなのか。しかも、当時の状況をかんがみれば、監獄を準備するような理論が力を持っていたわけでもない。突如として、監獄は広まったのである。「言説の横糸が、ごく自然に恥辱や同害刑、奴隷制をモデルとする刑罰の定義に向かおうとしていたさなか、それはいきなり切断され、まったく別のモデル、監獄のモデルが横から割り込んできます。それにしても、このときいったいなにが起こったのでしょう」(注2)。
マルクス主義とは微妙な距離を取っていたフーコーだが、監獄形態は「〔刑罰の〕理論から派生するものではなく、むしろ賃金形態に類しています」ということについては認めている。それは「時間」というものにおいて共通している。賃金においては時間を資本家に渡して給料を得るが、監獄においては「生きる時間」を渡すことで処罰が成立する。「時間が権力と取引されるのです」。
監獄と資本主義との関係の分析を、よりマルクス主義的に徹底させた形で展開したのが、ダリオ・メロッシ+マッシモ・パヴァリーニ『監獄と工場』(注3)であり、それは「資本主義的生産様式の発生と近代監獄の起源との関係を立証しようとするもの」である。それは、フーコーが拒否したような観点を多く含んでいながら(とはいえ少なくない問題意識を共有しつつ)、しかし現在思い出されておいてよいものであると思われる。
監獄と労働に共通する抽象的な時間。メロッシとパヴァリーニはそれを、ソ連の法学者として名高いパシュカーニスに依拠して説明しようとする。パシュカーニスはすでに、「一定期間の自由の剥奪」という処罰の形式が、「抽象的人間の概念、および時間ではかることができる抽象的人間労働の概念」と不可分であるということを述べていた。ここでは端的に、監獄と労働が類似しているのは、ブルジョワ的抽象性という、階級闘争的視点において浮かび上がってくるものとなる。
フーコーが言うように、「資本主義は、そのものとしての労働力に出会うこと」はない。つまり、ヘーゲル主義のような「人間の具体的な存在が労働である」というのは誤りであり、「人間の時間や生活は、生まれながらに労働であるわけではなく、むしろそれは、快楽、一貫性のなさ〔非連続性〕、宴会、休息、欲求、瞬間、偶然性、暴力などです」。だから逆に言えば、資本主義社会において「人びとの労働力を生産力に変える」ためには「その前の段階で、生活の時間を労働力に変える」ことが必要となり、その権力をフーコーは「寄託監禁」として概念化し、精緻に分析した(注4)。メロッシ+パヴァリーニの主張はこの契機に集中していると言え、監獄的なものの目的が人民のプロレタリア化、労働力化であるとの観点を強く手放さない。
監獄と工場の類似。実際、監獄では強制的な労働もおこなわれた。ならば監獄は単に囚人労働によって利益をあげようとするものなのか。しかしそうではない。歴史を見てみると、刑務所は採算の合うものなのかというと、そのようにする努力が見られたとはいえ、結果としては決してそうではなかった。「だから、その(監獄の――引用者)目的は、商品の生産ではなく人間の生産にあったのである」。つまり、監獄が工場であるにしてもそれは、商品ではなく、プロレタリアを生産する工場だということになるのである。ここが彼らの主張の最大の点なのだが、「無産者は、犯罪者と同じであり、――犯罪者は囚人と同じである――囚人はプロレタリアと同じなのである。言い換えれば、無産者――囚人は、プロレタリアとしてだけ、すなわち従属状態を受け入れ、賃金の規律を受け入れる者として認められるにすぎない人として存在しなければならない」(注5)。犯罪者は刑務所内で、ブルジョワにとっての理想的、模範的人間像としての囚人に作り変えられる。彼はとりわけ独房において、外界から遮断され何も所有しない一個の「抽象的人間」となる。そこで物質的要求を自主的に満たすすべを奪われている以上、彼に残された選択肢は、服従であり、彼が持つのはいまや「抽象的時間」のみである。ここにおいて犯罪者は最終的にプロレタリアに作り変えられることになった。
フーコーや、メロッシ+パヴァリーニの監獄論を振り返ったことの目的は、単に監獄についての正しい歴史を把握しようとするためでは、むろんない。これら、「六八年」を契機に書かれた監獄論をもとに、その後進展したネオリベラリズム/ポストフォーディズム体制の現在の監獄について思考するため、いや現在の状況下にあっていかに監獄を廃止するかを思考するためである。
「ガバメント奴らは俺らを台無しにする/俺らはパクられまたジェイル」(SCARS「My Block」)。A-THUGは問題のありかを見事なまでに正確に把握しており、「ガバメント=奴ら」と「俺ら」のあいだの敵対性の線を引く。「俺ら」が「台無し」になるのは、彼らを何度も繰り返し監獄へと送り返し続ける運動を組織している「ガバメント」のせいである。フーコーも『監獄の誕生』(注6)で書いていた。「拘禁が再犯を生みだすのであり、監獄を出たあとの人間のほうが、その経験のない者よりもそこへ舞い戻る機会が多い」。そうした状況に対する改善論も次々と出されてはきたが、囚人の苦境は変わらない。つまり、「監獄の存在、その《失敗》、多少の差はあれ熱心な改革」があるわけだが、この三つは順次的なサイクルをなすというのではなく、同時的なものとして考えるべきだと言う。つまり、ここでフーコーは柔軟な発想を提示して見せるのだが、「いわゆる監獄の《失敗》は、したがってその運用の一部分であるのではないか」。だから、「監獄は一見《失敗しつつ》も自分の目標を逸してはいない」。その目標とは何か。社会にきわめて広範にいきわたる「違法行為」(それは大犯罪から、取り締まられることのほとんどないような些細な行為までを含む)のなかに一つの差異化した「形式」を出現させることだという。それが「非行性」である。つまり監獄の「失敗」は、「非行性」を産出することに「成功」したのである。
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