尾崎翠のエドガー・アラン・ポー翻訳#7番外編
1.付録の「原作者略伝」も閲覧してみる
尾崎翠の翻訳「モレラ」が掲載された雑誌『女人芸術』(1930年新春号「翻訳特集」)の末尾には、翻訳者たちがそれぞれの担当作品の原作者の略歴、人物像、作品の特徴などを解説した、「原作者略伝」というコーナーが付録としてついています。
国会図書館デジタルコレクションで閲覧すると、この「原作者略伝」のページのデザインがなんだか凝っていて面白かったので、画像を一部分だけ載せてみます!
原作者名の頭文字のアルファベットが上の方に大きく描いてあり、翻訳者による解説が記されています。
頭文字のアルファベットに植物や花、リボンが絡みついていたり、窓枠や鏡のような四角で囲まれたデザインが多いみたいです。
ポーの略伝は、画像のちょうど左端の「P」(Edgar Allan PoeのイニシャルのP)が描かれている部分です。
「P」のデザインはよく見えないのですが、旅行トランクとかカバンみたいな絵にも見えるし、唐草模様みたいなふちどりにも見えるし、他と比べても謎のデザインとなっています!
当時のおしゃれな装丁なのか、今見るとレトロでちょっと変なかわいさを感じます。
2.尾崎翠によるポー略伝の引用元をたどる
今回は、番外編的な感じで、この尾崎翠による原作者略伝についていろいろ調べてきました。
尾崎翠によるポーの略伝の全文は以下の通りです!
ポーの人生と作品の評価について短くまとめられています。
なんとなくユーモアが漂う物語的な文章であり、翻訳「モレラ」本体よりもむしろ尾崎翠っぽいような気さえします。
まず、略伝の内容について、下記の森澤夕子さんの論文「資料紹介 尾崎翠によるポー略伝」(「同志社国文学60号」2004年3月)から情報を得ることができました。
↓↓
ポーの略伝の後半にある、「自然主義の世界に於ては坐るべき半分の椅子なく、仏蘭西象徴派中に於ては王座と家族的肘掛椅子を恭呈せられし人。」という文章について。
森澤さんの論は、この文章は大正時代の詩人・小説家の岩野泡鳴(1873~1920)による評論「日本古代思想より近代の表象主義を論ず」(『早稲田文学』明治40年5月号初出)に典拠があると指摘しています。
「表象主義」とは、一般的には「象徴主義」といわれることが多いですが、フランスに端を発す文学の手法の一派のことです。
この評論もまた、国会図書館デジタルコレクションで一般公開されており、全文を閲覧することができました。
森澤さんが指摘されている、典拠と思われる部分は下記の通りです。
岩野泡鳴の評論全体はとても理解しきれませんでしたが、この部分はざっくり言うと、ポーは(注:「渠=彼」はポーのこと)存命中に本国アメリカでは評価されなかったが、フランスの象徴主義の作家たちに受容され大きな影響を与えた、というようなことを言っています。
「王座」と「家族的肘掛椅子」とは、それぞれ「賞賛」と「親しみ」くらいの意味でしょうか。
尾崎翠による略伝は、「王座」「家族的肘掛け椅子」という非常に特徴的な比喩がこれと共通しています。
3.引用元のさらに引用元をたどる
そもそも岩野泡鳴が「ゴレンは~と云つた」と言っている、この部分の引用元は何なのか、ついでに調査してみます!
「ゴレン」とは誰なのか。泡鳴の評論の上記の部分の少し前に、次のような記述があります。
「ゴレン」はここでも出てくる「アリン・ゴレン」という人物だと思われますが、Google検索しても、国会図書館デジタルコレクションで検索しても、全然ヒットしません。
英語のサイトを自動翻訳したりしてさんざん探した結果、Aline Gorren(アライン・ゴレン?アリーン・ゴーレン?)という人物がヒットしました。
「スクリブナ雑誌」は1887年から1939年にかけて刊行されたアメリカの雑誌、スクリブナーズマガジン(Scribner's magazine)のことだと思われます。
この雑誌は日本語訳されていないようです…しかし、英語の原書がデータ化されたものは、すべてこちらのサイト上で閲覧できました。↓
データの中から、Aline Gorrenが執筆した記事を探します。
調べた結果、スクリブナーズマガジン1893年3月号に掲載されたAline Gorrenの記事「THE FRENCH SYMBOLISTS」(フランス象徴主義者たち)にたどり着きました。岩野泡鳴が参照したのはこの記事だと思われます!
この記事の中で、「Poe」などの単語でページ検索をかけて、エドガー・アラン・ポーに言及された箇所を探します。
・・・
見つかりました!
throne=王座、domestic=家庭的な、arm chair=肘掛椅子
太字部分は、「エドガー・ポーすなわち、フランス象徴主義者たちの間では、本国では決して持つことのなかった、王座と家庭的肘掛椅子を与えられた者」といっています。
岩野泡鳴の引用は本当に原文そのままであったことが分かり、これを見つけられてすっきりした気分です!
しかし、この記事全文(英文、しかも文学評論)を理解するのは知識的にも語学的にもちょっと頑張ったくらいではきびしかったです…
とりあえず、この付近に関しては、ポーその人を論じているのではなく、ポーの作品をフランス語に翻訳したシャルル・ボードレール、あるいは、ポーの詩論によって詩を創作したステファヌ・マラルメなどフランスの作家について言及しているらしいです。
そこで名前が出てきたポーについて、 「Edgar Poe –who~」という文中の注釈のような感じで、王座と家族的肘掛椅子うんぬんといった説明がなされているようです。
岩野泡鳴は、Aline Gorrenによる記事にちょっと出てきたポーに関する表現が気に入って、その細かい言い回しを自分の評論で引用している、ということになります。
尾崎翠も、岩野泡鳴が引用したこの言説が気に入ったのでしょうか。
そうすると、「自然主義の世界に於ては坐るべき半分の椅子なく、」(自然主義が主流の文学界では真価の半分も評価されなかった、という意味?)と独自に付け加えて、「椅子」の表現を広げて応用しているところも面白いです。
4.ポー翻訳の第一人者・谷崎精二による解説
しかし一つ思ったのは・・・もし自分なら、ポーの略歴を知りたければ、ポーに関する言及がわずかしかない岩野泡鳴の論文を引いてくるより先に、ポーその人に関する解説を参照するのでは??
他にもポー関連で「王座と家族的肘掛椅子」の表現を用いた人はいないのか、再び国会図書館デジタルコレクションで検索してみると、次の例が見つかりました。
どちらもポーの作品集の解説の中で、訳者の谷崎精二によって「王座」「家族的肘掛椅子」の引用がなされています。Aline Gorrenの名前を出さず、「~と云われている」というにとどめているので、大元のスクリブナーズマガジンからというよりは、岩野泡鳴の評論からの引用という気もします。
谷崎精二(1890~1971)は大正時代の翻訳家で、谷崎潤一郎の弟です!
ポーの全集を何度か刊行しており、本格的なポー翻訳の先駆者といえます。
上記の『赤き死の仮面』は短編集となっており、「モレラ」も収録されています。年代的にも尾崎翠が参照できた可能性が高いと思います。
また、『アッシャア家の没落』の谷崎精二の緒言をよく読むと、ポーの人生について次のような解説がみられます。
尾崎翠による略伝は、ポーの人生の流れを解説する順序や言葉遣いなどがこれに少し類似しているように思います。
尾崎翠は全体的に谷崎精二の解説を参考にしており、その中に「王座と家族的肘掛椅子」の表現があった、とも考えられます。
岩野泡鳴が評論中で、スクリブナーズマガジンからほぼ直訳する形で「王座と家族的肘掛椅子」という表現を引用する
↓
ポーのフランスにおける評価を表す言説として文学者らに広まる
↓
谷崎精二がポーに関する解説中でそれを引用する
↓
尾崎翠が谷崎精二の解説から引用する
という流れが考えられます。
(とはいえ、岩野泡鳴(1873~1920)は尾崎翠(1896~1971)より年代的に先行しているし、何より文壇では有名だったらしい評論「日本古代思想より近代の表象主義を論ず」を尾崎翠が直接読んでいた可能性も捨てきれません。)
5.まだまだ調べたいことはありますが…
今回調べた部分の直前、「作家として彼を簡単にいへば、「時代的傾向」に対しては純遊離者。「人生の再現」に対しては図案化者。」という表現も、どういう意図があるのか、何かの引用ではないのか、とても気になります。
森澤さんの論文では、この表現は「他の書物には見当たらず、尾崎翠独自のポー解釈であると考えられる」とされています。
ただ、「時代的傾向」「人生の再現」とわざわざカッコ付きにしていることから、これもまた何らかの引用元に「対する」アンサーのような雰囲気も、自分の直感的には感じます。
しばらく頑張ってだいぶ調べましたが、なかなか収穫が得られていません。
後で何かの拍子に見つかるかもしれないので、もし何か分かったことがあれば、またまとめたいと思います。
「尾崎翠のエドガー・アラン・ポー翻訳」に関してはこれで一段落したいと思います。
最後は長々と調べもの日記みたいになりましたが、ありがとうございました!
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