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文章を書く人には絶対におすすめしたい本 『言語表現法講義』加藤典洋

僕が映画館に行ったり、本を開いたりするのは、誰かに僕の頬を引っ叩いたり、頭をぶん殴ったりして欲しいからだ。

普段の生活を送る中で得られる視野は恐ろしく狭い。狭いということにすら気がつけない。
物語や知識は、全然違う世界を見せてくれる。ここでいう「違う世界」というのは、フィクションとか、いわゆる現実を忘れさせてくれる幻想というような意味ではない。まさに自分が生きている世界であるにも関わらず、そのことに気づいていない、そんな世界のことを指す。

日々を生きる中で感じることは、その時点での僕のパースペクティブで感じたことにすぎない。また違う視点で見れば、そこには全然違った感じ方がある。そういう相対化が必ずしも正解とは思わないが、生きるということの息苦しさを少し解消してくれる。

ある凝り固まった狭い視野を自分が抱いていることに自分で気づかずに生きているようなとき、僕は誰かにぶん殴って欲しいと思う。その痛みでやっとそのことに気がつく。映画や小説に何度も何度もぶん殴られて僕はこれまで生きてきたと思う。

『言語表現法講義』を読んで、これは最高の本だと思った。めまいがするくらい何度も頬を叩かれた。
(僕自身は別に表現に長けているわけではないので説得力を持たせることができないが、ちょっと今はその点には目を瞑ってもらいたい。)

なぜぶん殴られるかというと、自分が知らないことが書いてあって、それを初めて知って驚くからではない。
すでに知っていること、感じたことが腹に落ちる言葉でわかりやすく言語化されているからはっとする。

ものを書くようになる人というのは、頭がいいから、書くんじゃ決してないんです。考えるために書かないといけない、という面倒なサイクルを自分の身体に引き込んでしまった人が、考えるために書く。僕もそうです。考えるために書く。書いてみると、どこまで自分がわかっていて、どこからわからないのか、わかる。なぜわかるか。書けなくなるから。あるいは調子に乗って書いていて急に自分が馬鹿に思えてきて、その先を続けられなくなるから。

p12-13

noteを読んだり書いたりしている人は、少なからず納得するはずだと思う。
この本の良さをすべて書き記すことはもちろん不可能なので、僕がすごく好きなところを引用してみる。

良い文章の定義、文章のよさ、そういうものはない。あるのは、良い文章だけだ。その意味は、そのよさ、っていうのは、一人一人が、感じるしかないものだ、ということでしょう。えーっ、そんなに曖昧なのーっ、と言うかも知れないけれど、それは曖昧なのではない。感じるしかできないもの、そういう感じることでようやく保たれるものが、あの様々な古典の堅固さなんだ、と考えてほしいんです。

p58

いいですか。こう考えてみて下さい。何かを感じたら、それを離れて、それが政治的にどうか、それを書いたら相手に、教師に、友人にどう思われるか、などという思惑から、その感じたことを操作したら、そういう文章は、「クソ」のようなものだ。

p137

言葉にしてもらうとああそうだよなって、そう思って良いんだようなって励まされるような気がした。
頬を叩かれてはっとして、背中を叩かれて前に進む気にさせてくれる本だと、そのように人に紹介したい。

短い文章で引用できそうなところだけさっと引用しただけなので、本当はもっともっと色んなことを話している。
なんとなく、各々「良い文章」と「悪い文章」があるな感じていると思う。でもそれがなぜなのか、どのような観点から良し悪しがあるのか、ということを明確に理解できているだろうか。この本は、良し悪しの分解能を間違いなく引き上げてくれる。文章というものに対する解像度が高くなる。文章を書くとき、言葉で何かを表現するとき、こう言う視点で考えればよかったのかと、チープな表現になってしまうが「発見が必ずある」。
良いこと、効能ばっかり説いて、自分でも胡散臭いプレゼンになってしまったと思うけれど、本当にそう思うんです。

少しでも響いた人には、おすすめしたい。

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