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2021年がはじまりました/わが家の年末年始

「ウッチャン、ありがとう(泣)」「音ちゃん、衣装ステキ! 歌ステキ! 来年も司会やって!!」「洋ちゃん、もっと喋って!!」「絶対モノマネに寄せて喋ってるよね、福山さん」「限界突破してくるきーちゃん、最高」「姐さーーん(泣)」「とりあえずSuperflyとMISIAと玉置さんには毎年出場してもらいたい」などなど思いを巡らせた大晦日の紅白歌合戦が終わり、『年の初めはさだまさし』でまさかのまっさん遅刻に初笑いし(構成作家の井上さんは若干キレ気味だったけど 笑)、さだファンの一般人・世田谷の小平さん一家の平和に安堵して2021年がはじまった。

いつもなら実家で大晦日の夜、仏さまに手を合わせてからおせちを食べはじめ、紅白を観終わると年越しそばをつくる。その名の通りそばを食べながら年越し。そして新年、また仏さまに手を合わせる。

実家はもともと農家なので、おせち料理のメインは煮物だ。昆布を煮た後、その煮汁を使って、ごぼう、里芋、にんじん、こんにゃくを別々に煮る。黒豆は何日も前から母が仕込む。それから酢れんこん、紅白なます、さつま芋と栗のきんとん、春菊と麩入りの茶碗蒸し、最近はつくらないが金柑の甘露煮。あとは蛸や鮮魚の刺身、海老、数の子、ハム、伊達巻などを用意して食卓に並べる。31日と1日がおせち料理で、2日か3日は鍋料理。実家から戻ってくる際、多めにおせちの煮物を持ち帰る。それらを鍋にぶち込んでカレーをつくり、またしばらく生き延びるのだ。

雑煮の汁はうす口醤油ベース。具は、煮物の面取りで出たクズ野菜、裏山の椎茸、畑から取ってきた葉物。鶏肉は姉が苦手なので入れない。きのこと野菜のみ。肝心の餅は煮込んでやわらかく、白餅とふつ(よもぎ)餅を1個ずつ。

帰省のない今年は、元日遅めに起床。実家から送られてきた白餅で雑煮をつくった。具はどうしようかと悩んだが、結局鶏肉を入れず、先日餅より前に送られてきた畑の根菜と青梗菜と椎茸でいつもの雑煮を作った。

1日の夜は、いくらの醤油漬けとおでんを肴に「また沖縄旅ができるように」と願いを込めて瑞泉の古酒43度をロックで。ちなみに昨夜もおでんは続き、オリオンビールで乾杯した。

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届いた年賀状を読んでいたら、学生時代の恩師から年賀状じまいのお知らせ。卒業後は、年に一度先生と同じゼミの先輩、同級生数人で飲み会をしていたが、先生が高齢になってきたことや各自生活の変化などで近年は集まる機会がなくなっていた。最後に会ったのは5年前。別の先生の退官祝いの宴席だ。

せっかちな先生らしい淡々とした年賀状を読むと、自然と時間が巻き戻る。それも今年で最後かと、少々しんみり。と同時に、この先どのように生きれば自分らしく自由でいられるのだろうと少し不安にもなる。

あの頃は、困ったら素直に友達や先輩に甘えまくって生きていた。バイトの帰りに「お腹すいた」と電話で助けを求めると「うちに寄って食べて帰ればいいよ」と同じひとり暮らしの友達がありものでご飯を作ってくれた。飲み会に行けばOB・OGや3年生、4年生の先輩たちがご馳走してくれた。ときには「〇〇にいるんだけど、いくらでも飲んでいいって。おいで!!」と、先生たちと食事中の友達が電話してきてくれた。タダ飲み、タダ食いにつられて行っていた(いやいや、貴重な話も聞けたので)。

あれ? 全部ごはん関係じゃないか。のだめか!? 

まだまだ、先生たちがゼミの学生を「〇〇ちゃん」と下の名前で軽く呼んだ時代だ。

ちょうどドラマ『のだめカンタービレ』を全話観直したばかり、おまけに年賀状は大半が学生時代の友達からなのでイメージが重なるのは仕方ない。

シュトレーゼマンのような振る舞いは今なら絶対NGだろうけれど、あれに近い先生はけっこういた。ただ先生とか教え子とかの立場は関係なく、学問の話も恋愛話も真っ向勝負で会話していた気がする。濃い時間を共有したから、関係が途切れぬまま何十年ときたのだろう。

あー、しんみり話は正月向きではないので続きはまたいつか。

ふらふらと毎度漂うnoteですが、今年もよろしくお願いします。

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