准看男子 自己紹介
こんにちは。今日は少し自分のことについて書いてみたいと思います。
今でも会社員時代の夢を見るんですよ。10年以上経った今でも。
僕が所属していた会社は、月曜日が新企画会議で企画案を2つ挙げなくちゃいけなかったんです。
金曜の夜、23時頃会社を出るじゃないですか。(ええ、めっちゃブラックです。給料は手取り18万くらいでした)
帰り途中にコンビニで、当時はストゼロではなく氷結ストロングの500缶を買うんですね。
駅までの道、約15分くらい、それを飲みながら帰るんです。駅のゴミ箱に空き缶を捨て、電車で20分。家賃67000円のワンルームマンションに帰り、近所のコンビニで同じく氷結ストロングの500缶を3本買うんです。自宅に着いたらシャワーを浴びて、つまみに買ったセブンの竜田揚げ棒を食べながらずーっとその新企画ってやつをひねり出そうと悶々としながら飲み続けるわけです。酔っ払いながら考えつくはずないのに。
2本飲んで、なんだか少し飲み足らないな、と3本目を開け、またコンビニ行ってポテチとかスルメとか買って、飲むんです。
で、少し飲んだら酔いつぶれて寝るんです。
土曜日の午後に目が覚めます。猛烈な二日酔いと、「月曜の新企画どうしよう・・・」と焦り始めるんです。 会社行って新企画の企画書作ろうかな・・・なんて思うのですが、ベッドの横には昨日飲み残した氷結ストロング。はい、残りを飲み始めるんです。
マズイですよー、常温の氷結ストロング。まずさと二日酔いの気持ち悪さを堪えながら必死で胃に流し込むんです。で、負のループです。飲み始めたのでまたコンビニ行って、竜田揚げ棒買って、氷結ストロング買って、酔いつぶれて寝て、、、日曜の今度は早朝に目が覚めて、ベッドの傍らには氷結ストロングがあって、今日こそは企画書を書かなくては、って焦ってて。気がつくと月曜の早朝で、シャワー浴びて始発に乗って会社に行くんです。で、クタクタの状態で企画書をでっち上げるわけです。もちろんそんな状態で書いた企画なんて通るはずもなく上司に怒られるわけです。その頃は心療内科にも通っていました。
そんな月曜早朝の追い詰められた自分が夢に出てきて、起きると心臓がバクバクしてます。そして「ああ、今は新企画のノルマなんてないんだ」と胸をなでおろします。
僕は今でも吐き気を堪えながら流し込んだ氷結ストロングのグレープフルーツ味を思い出すことができます。
おかげで今でもグレープフルーツ味のジュースは飲めません。
さて、そんな生活が長続きするはずもなく、30代のはじめに会社を辞めることになります。僕の母は看護師だったので、医療職に転職するのは案外早くに決めました。退職金をきっかり使い果たし、失業保険をもらいきってからハローワークに行くと、総合病院の看護助手の仕事を見つけました。給料は額面で年収200万ででした。月額で16万くらいですね。手取りで13万ちょいだったかな。派遣の仕事でした。
朝、6時半に起きてシャワーを浴びて職場に行きます。8時から勤務開始で病棟の環境整備、ベッドメイク、患者さんのリハビリや他科受診の送り迎え。とにかく体を動かす仕事でした。
休憩で自宅でつくったおにぎりを2個、すぐ近くの惣菜屋で1個50円の唐揚げを2個。近所の公園で食べ、缶コーヒーを1本、コインパーキングでタバコを2本。そして午後も同じ仕事、、
午後4時に仕事が終わるんですよ! そして仕事が終われば、仕事のことは一切考えない生活です。オフの時間に仕事のことを考えなくていい、というのが精神衛生によいことを僕は初めて知りました。
給料は安かったのですが、月に2回行く立ち飲み屋が本当に楽しみでした。それ以外は近所の肉のハナマサで買った100g100円前後の牛肉を家でじっくり焼いて安いワインを飲んだり、冷凍庫で冷やしたバーボンでキンキンに冷えたバーボンソーダを飲んだり、、、
休みの日には近所の図書館で本を借りて、モスバーガーで延々読書したりしてましたね。公園を散歩したりもしてました。
心療内科はすぐに行かなくなりました。帰りの電車で座れたらすぐに寝てしまうくらい睡眠も取れるようになっていました。元気になったのです。
あの月曜早朝の絶望的な気分を僕は忘れません。
竜田揚げ棒と氷結ストロングのまじったゲロの味も忘れません。
明日も日曜日の日勤ですが、元気に仕事に行って、クタクタになるまで労働をしてこようと思います。帰ったら美味い酒を飲みます。
最後に 僕と同じような土日も仕事のことを考えて疲れ切っているサラリーマンには、転職を強くお勧めします。精神衛生によいですよ。人生楽しいです。ではでは。
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