モロッコ巡行記④@ワルザザード
もっと知っておかなければならないことの色々。
メルズーガを後にし、ひたすら西へ。ワルザザード及びその先にある世界遺産・アイト・ベン・ハッドゥを目指します。アイト・ベン・ハッドゥは、家々が集まり1つの要塞のようになった村。17世紀にカスバと呼ばれる東西南北に4つの見張り塔を設けた砦のような建造物が多く建てられましたが、それはアイト・ベン・ハッドゥだけでなく、道中にも数多く点在していました。しかし、その多くは空き家になってしまっており、それをリノベしてホテルやレストランに生まれ変わっています。
通りがかった街の中で印象的なのはエルフッドです。昔は海だったというその土地は黒い火山灰で今も覆われています。ここからジュラ期の恐竜の骨やアンモナイト、クラゲなどの化石がザクザク取れるそう。ちょっとした出店などを覗くと、アンモナイトの化石が河原の石ころのようにゴロゴロと売られています。
この日も半日ほどを要して、ワルザザードに到着しました。ワルザザードは365日晴れが故に、世界最大の太陽光発電所があります。また、アイト・ベン・ハッドゥしかり、この一帯はありとあらゆる映画のロケ地になっています。街の外れには、オスカーが大きな映画スタジオを構えています。
コロナ前は日本人の観光客も多かったようで、モロッコの観光業に大きく貢献していました。それだけでなく、農地開発における技術協力も行なっており、モロッコ人は口を揃えて日本人を「尊敬している」と言う。ちなみに、砂漠を疾るならTOYOTAの四駆が一番良いそう。日本人として、もっと誇るべきことがたくさんあると思いました。
モロッコ人はまた、コウノトリのことも尊敬しています。コウノトリはアフリカ大陸とヨーロッパを行き来する渡り鳥ですが、必ず元の巣に戻ってくるそう。鉄塔や電信柱のてっぺんには、コウノトリの大きな巣が見受けられました。
ワルザザードからさらに1〜2時間ほど行くと、アイト・ベン・ハッドゥが姿を現します。今は仙人みたいな人が独り?で棲み続けているらしいのですが、所在はわからず……迷路のように入り組んだ路地は、容易に上まで行けないような造りとなっていました。
今も昔も、モロッコの人々はこの困難極まる土地で生きていくために、土地を開拓してきました。例えばかつて、乾いた大地に水を引くため、アトラス山脈から2030キロにも及ぶハタラ(一般名はカナートか)と呼ばれる高低差を付けた地下用水路を掘りました。その遺構が、まるで巨大なモグラが地中を通った跡のように残っています。
また、アトラス山脈に車道を通したことも、人々の生活を大きく変えました。アイト・ベン・ハッドゥからマラケシュに向かう際、アトラス山脈のティシュカ峠というウネウネ道を通るのですが、古い道はすっかり整備され、車酔い一つせずに通過することができました。(なんとアトラス山脈の2260m地点に車で行けちゃいます!)
モロッコは、1956年にフランスとスペインから独立しましたが、ベルベル民族独自の発展と、両国の影響を受けたことと、どちらも混在しているように思いました。モロッコ人はかつて、日本のように氏名の順で名乗っていましたが、フランス占領下時に逆転してしまいました。日本もそうですが、栄華の裏には良くも悪くも他国に干渉された歴史があるのです。