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THE DESIRE AND PURSUIT OF THE WHOLE 邦訳版④ 本編② 第2章 フレデリック・ロルフ著   雪雪 訳

※写真下の注釈は私が記載しております。
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『アダムとイヴのヴェニス』

第2章


白い夜明けが彼の左手に忍び寄り、カラブリア海岸の灰色の城壁が微かに見えたとき、彼はそこに向かって舵を切った。

現代のカラブリア海岸。

とにかく陸地に近づきたいという奇妙な欲求を覚えたのだ。彼は、潮流を助けを借りて風を受けようと帆を張った。彼の脳は夜の神秘の中にあった。曳航えいこうするために舵を賢明に操ったせいか、体中のすべての筋肉が痛んだ。彼には、何が起こったのか詳しく知りたいという好奇心はもはやなかった。最寄りの海岸が壊滅的な打撃を受けたこと、 そして、その時は、十分に安全な地点から地震や海嘯の影響を見る特権が自分には与えられていたのだと、彼はそう言ったものだ。それ以上のことは知りたくなかった、と。 今、彼が必要としていたのは、孤独な隠れ家を探して、この出来事についてじっくりと考えることだった。
数時間、数週間、あるいは一生かもしれない。自分が、いつ、どこで、何を、どのようにしなければならないのか、正確に知るまでの間は。

夜明けが白んできて、灰色を帯びる。前日に通り過ぎた小さい村々を探した。しかし、何も見えなかった。彼は岸辺に近づき、海を滑るように進んだ。薄明かりの中、彼はメリート・ディ・ポルト・サルヴォの天文台と思われるところから石を投げ出して滑空した。さらに数キロ進むと、疲労が限界に達した。

現代のメリート・ディ・ポルト・サルヴォ。

岩だらけの渓谷から海辺へと続く小さな入り江を見つけた。
そして、歪んだ線路の向こうに、木々の間から白い灯りを放つ農家が見えたような気がした。すべてが死そのもののように静まり返っていた。ただ、雨の激しい音だけを除いて。彼は予備のいかりを取り出し、入り江の真ん中に係留けいりゅうし、トポの周りに有刺鉄線を張り巡らせた。

食事をして、煙草を吸い、眠ると、正午を過ぎていた。しかし、海峡かいきょうを北上するつもりはなかった。そうだ。今すぐヴェニスへと戻ろう。
2月に入れば、新聞に掲載された事実をすべて読み漁って、こうして得た知識を、マリッティマの港で出会う船員たちからの情報で補えばいいのだ。

入江に入ってからというもの、海岸で動く姿は一度たりとも見聞きしなかった。彼はふと、この機会に水を補給しておこうと考えた。
そしておそらくは、きっと、農場の人たちは新鮮な卵を食べさせてくれるだろうと考えた。彼は岸まで漕ぎ寄せて、泥に埋もれた自分のオールで、ヴェニスのラグーンでいつもしていたように舟を停泊させた。

森を抜ける坂道は、ひどく荒れていた。木々や折れた木片や割れた岩が散乱している。雨に打たれて黒光りする幹は、朽ち果て、震えていた。多くの木が根こそぎ倒れていた。家の白壁は、投げ倒され、粉々に砕け散っていた。恐ろしい!彼は廃墟に近づいた。人が住んでいたのだろうか?住人はどこにいたのだろう?

1908年のメッシーナ大地震。

すると、折れた梁の一端が中年の男の毛むくじゃらの胸に斜めに突き刺さり、もう一端はよぼよぼの壁の残骸にもたれかかっているのが見えた彼の首があるはずの場所には、もう一本の梁が横たわっている。彼の頭は1メートルほどの高さに、白く美しい姿で横たわっていた。それは、雨と血の入り混じる水たまりの中で、いくつかの敬虔けいけんなオレオグラフ(石版画の技術で複製された油絵)とともに安らかに眠っているように見えた。ニコラスは嘔吐したが、同時に激しい好奇心にも駆られた。
壊れた煉瓦れんが漆喰しっくいと破片とで出来た大きくいびつ方方ほうぼう鋭角えいかくになった塚が、トムショールや絵の額縁によって多彩に彩られていた。その底からは、人間の手足が突き出ていた。ニコラスはその中に、赤ん坊の右手を2本、ポレンタがかかった女性の右足を4本見た。また、眠ったように瞼を閉じている痩せた少年の左腕と肩と胸が剥き出しになり、彼の四肢は豚の角切りや木の灰、ボロ布の乱舞から覗いているのが見えた。まるで獣に噛みちぎられたかのように、すべての肉がゴツゴツと千切れていた。別の出入り口には、はりや割れた板が、ほこりの山に混じってぐちゃぐちゃに積み上げられ、ソースパンなべの取っ手もあった。

それらの材木の隙間から顔を出していたのは、顔をのぞけば女の子の全身だった。梁の破風はふの影に隠れているのが彼の目に写った。ニコラスは彼女の足を掴み、そっと引きずり出した。
彼女は奇妙な体型で、健康に成長した16歳くらいの子供だった。手足はまっすぐで、たくましく、ほとんど男の子のようだった。
ミルクと蜂蜜のように白く、太く短い薄茶色の髪は雨に打たれてぺしゃんこになっていた。彼女の全身は埃で覆われていたが、雨が泥を洗い流していく。彼女の顔はとても奇妙だった。性的な扇情性がなく、無表情で、情熱もなく、無知で無邪気で、しかし魅力的だった。その見事な筋肉の輪郭と、純粋だが豊かな色。日焼けしたしなやかな足と脚。大きな青あざのある豊かな肩。
未発達の白い乳房は平らなクッションだった。自然がこの生き物を作ったとき、きっと邪魔が入ったのだろう。胸幅の広い、細い脇腹の、腰のない、男の子として作られたが、欠点は女の子であるということ。しかし、彼女は死んでいるのだろうか?
肩の打撲では死ぬはずはない。他に傷はなかった。ニコラスは濡れた手のてのひらを彼女の濡れた心臓に当てた。
その瞬間、彼の腕が彼女の膝を包み、彼女の頭と腕が彼の肩にもたれかかった。
彼はよろめきながら森を抜け、トポへと向かった。雨の洪水が彼女を洗い流して、真新しい象牙のようにきれいになった。輝く肌の香りは 壁花やジャスミンの咲く朝方の庭のようだった。

さらに20分後、ワインとトポのキャビンの暖かさが彼女を甦らせた。大きな長い瞳は、子供のように甘いけれども、素晴らしく力強く切ない。虹彩は琥珀色に輝いた子猫の目のようでもあり、ベネチアのラグーンにたたえる水のようでもある。
真珠層で覆われているようだった。彼女はキャビン内を見回した。
そして再び毛布にくるまって眠りについた。

ニコラスは、彼女の強く燦然と輝くような青白さをじっと観察し、研究した。髪が乾くと、黄色い輝きが増していた。しかし輝く黄金や銅の暖かさというものは微塵もなかった。
淡く明るい髪が、気高く丸みを帯びた頭上全体に厚く伸びて生い茂っている。
前髪には前方に向かった鳥の羽毛のような長さ5、6センチの房が、大きくアーチを描いた白い額から真っ直ぐに伸びた眉毛まで続いている。彫りの深い鼻は繊細で高貴にみえて、その可憐な先端と小さな羽のような繊細な鼻孔。
小さな上唇は芸術的なカーブを描いている。その固い弓が下唇のふくよかさをコントロールしていて、鮮やかな珊瑚色の口は少し開いていて、 輝く立派な歯が覗いている。他のすべての身体的な特徴と同様に、彼女の口は見事な繊細さで出来ていた。
事実、完璧な卵のような楕円を描く顔全体が、引き締まった頬と顎に至るまで 、無知であり、無垢だった。
その花のように咲き誇る乙女の唇は、他人の唇に触れられたことはなかったように思える。それは確かだった。彼女は横たわりながら、 足首を軽く交差させ、頬と傷のない肩が枕に隠れるように体を少し反らせた。腕と痣と首と胸の一部が毛布の外に出ていた。この腕は肘のすぐ上まで日焼けして蜂蜜のような褐色になっていた。手のひらはヴェネチア人のように硬くなっていた。しかし、その日焼けした手のひらから先には、若さゆえの無垢な柔らかさ、力強い肩、筋肉質で豊満な胸、しなやかな円柱のような喉、少年のような体つきがあったのだ。彼女は息を深く吸って、胸が上下している。

彼女は誰?彼女は何者なのか?いったい私は彼女をどうすればいいのだろう?
苛立ちがニコラスを貫いた。自分自身の愚かな状況が目の前に浮かび上がった。
彼は向かいの洋服ダンスの上に座って、ベッドに横たわる少女を見つめた。
そして強引に考えた。そのうちに、音もなく、彼は尻の下にある蓋を空けてその中を漁った。
バスガウン、黒い毛糸の靴下、新しい茶色の靴下を取り出した。大きな黒いシルクのネックタオルとポケットチーフを2、3枚も合わせて取り出す。そして船室にある他のすべての散らばったものを箪笥に入れ、鍵をかけた。衣服は蓋の上に置いて、わかるようにしておいた。そして静かに外に出た。
ドアを閉めると、雨の中、船首に座って煙草を吸いながら考え続けた。

彼は、少なくともある時点で、自分の誤りを認めた。それは、この客人をどう形容をするかにおいての、広教派としての罪だった。彼女を象牙や蜂蜜やミルクや珊瑚と比較していたことがそれに当たる。これは不当である。不当な賛辞を浴びせることは、彼のような厳格な嗜好を持つ作家にとっては、許されざる罪であった。
このような精確な思考をするということは、不眠不休になっていることを自覚させた。
では、彼女を何にたとえるべきだろうか。象牙、蜂蜜、ミルク、珊瑚!彼女の素直さ、柔らかさ、透明感、そして堅固さ、病的な蒼白さ、素朴な瑞々みずみずしさ、純潔さを、何に、どうたとえればいいのだろう。
そうだ、色合いと彼女の質感を組み合わせたたとえを見つけなければならない。質感のない色合いや、色合いのない質感は存在しないのだから。

彼女はまるで花のようだった。彼女からは、花の静けさと明るさのかぐわしさがあった。彼女は、信仰の谷に咲くあの素晴らしいゲントアザレアのようだった。
初夏、彼らは彼女の肉体に匹敵するようなしっかりとした花を咲かせ、触れるとその柔らかな花びらは黒く変色して崩壊してしまう。太陽の光に照らされ、豊かで、甘く、淫らな色に染まっていく。その花びらは、まるで乙女の豊かで、やわらかく、健康的な肉体のようだった。
彼はこのたとえに満足した。このたとえは正しい。
彼は、この女性のその肉体の色合いや質感を何に例えるかを探し始めていた。記憶がもたらしたのはやはりゲントのアザレアの花だ。その完璧な円形に、彼はうっとりした。彼女の体型は?性別以外はすべて、高貴な少年だ。彼女の心はどうだろう?

彼女は誰?彼女は何者なのか?どちらも彼女には微塵も関係ない。彼はいったい彼女をどうするつもりだったのか?それこそが非常に重要だった。

ベルギーの都市であるゲントのアザレア。

ニコラス・クラッブは、ニコラス・クラッブであるがゆえに、外では頑固で梃子てこでも動かなかった。彼は、どんなにひどい中傷や屈辱を受けようとも、それに動じることはなかった、 髪の毛一本振り乱すこともなかった。彼には何も効かなかった。
彼の敵たちでさえ、つまりはー、しこうして彼と親密な関係にあったすべての男女のことであるがー、興奮が収まったのであれば、そのことを認めている。彼の冷酷で情け容赦のない、そしてまったく自己中心的で平静な足取りと身のこなしを乱そうとしても、それが出来るものは何一つなかったと、そう言っている。
そして彼らはそれを、生まれついての腕白だからだと言う。
もちろん、彼らは無能な愚か者だ。バカだ。甲殻類こうかくるいのような硬い甲冑かっちゅうに身を包んだ人間に何を期待するのか。そのような人間には、自分の感情を表出する手段がないのである。獰猛どうもうに切り裂く爪と、おそらくは荒涼とした、硬直した、睨みつけるような視線を除いて。
クラッブは、感情を表に出す癖のある人間から嫌われていた。
彼は自分の感情を表に出すことができなかったから。しかしバカ女たちは、こう思っていた。彼の壊れやすいが曲げられない殻が、彼の表情そのものなのだと。
そして(まったく予期せぬことに)、それまでじっと折りたたまれていた爪が、突然の激しさで掠み、つまみ、引き裂き、彼女たちのその思い込みを翻弄した。バカ女たちはひどくショックを受け、不愉快になった。その人が聖職者である場合は、大いに傷つき、あるいは苦悩に沈んだ。
確かに痛かっただろう!だが、当のクラッブの苦悩についてはどうだろうか?

親愛なる読者よ、クラブ・かにを解剖したことがあるだろうか?もしないのなら、できればすぐにでも解剖してみてほしい。丸々5分間茹でて、不必要な蛮行は避けるように。そうして湯から上げたら、甲羅のふたを開けて、中を覗いてみなさい。そこは新しいチーズのような物質で満たされている。そして、虫眼鏡で見てみればわかるだろう。それは蜘蛛くもの巣よりも細かく、みつに網目状に張り巡らされている。実際、かにの甲羅の下はバターのように柔らかく、この上なく繊細な神経の迷宮なのだ。
この楽しい実験から、あなたは次のことを学ぶだろう。6月21日から7月24日の間に生まれた哀れな罪人に対しては、神と同じように慈悲深くあるべきだと。そこで生まれた者の性質とは蟹座である。
賢い男も、恐ろしい男も、賢く恐ろしい男も、必ず不幸になるわけではない。しかし、この蟹男クラッブはその3つすべてを兼ね備えている。唯一の条件を除いては。その条件とは、12月20日から1月21日の間にサトゥルヌスと結ばれることである。

サトゥルヌスは古代ローマ神話の神。時間、生成、解散、豊かさ、富、農業などの神。毎年12月にローマでも盛大な祭りであるサトゥルナーリア祭で祝われた。妃は妹のオプスで、彼女との間に木星、海王星、冥王星などを設けた。古代ギリシャの神クロノスと同一視される。サトゥルヌスは通常、片手に鎌、もう片方の手に麦束を持っている。古代ローマ人はイタリアはSATURN、土星人に支配されていると信じていた。

外は柔らかく、内は硬い。正反対の人物によって物事は調和し、バランスが保たれるのだ。私たちが知っている限りではそうだ。無論、私たちはほとんど何も知らないに等しいのだけれども。私達のほとんどはプライドが高すぎるし、ヒステリックすぎる。だから、人生というパズルのパーツを組み合わせる、本当に満足のいく方法を考え出すことはできないものだ。
だから、昔々、人々にその答えを探し始めた。親愛なる読者よ、どうか馬鹿にしないでやってほしい。プラトンはやったではないか。彼の独創的な理論は、万物の最初の始まりにおいて、神々の王と父である神が、全ての人間を創造した。totus teres atqiie rotundus丸く滑らかな人間を創造した。

古代ローマの南イタリアの詩人ホラティウス。『totus teres atqiie rotundus』は紀元前35年に書かれた彼の風刺詩『Satires.2』の8章『How was dinner with Nasidienus?』より。この風刺詩は1、2とあり、それぞれホラティウスの人生哲学を交えた風刺を書いている。『totus teres atqiie rotundus』は、ラテン語、丸みを帯びた滑らかな人間で、名誉や欲望に無欲で、自身の中に全体があるもの、と書いている。

前と後ろを見る二つの顔、後ろと前で戦う四本の腕、そして四本の足で前へ後ろへと歩く。
この丸い人間は、自分の無限の可能性に驚嘆しながらも、自分自身を気取り、立ち上がり、不滅の神々に向かって咳を吐きかけるほどに見当違いだった。
オリンポスの大邸宅に住む神聖な者たちにとって、その人間は最も鼻持ちならない存在となった。
ゼウスは激怒し、その人間を真っ二つに切り裂いた。その半身を息子であるアポロンの。
癒やしたもう半身は、オリュンポスの高みから無造作にこの世界の方方ほうぼうに投げ捨てた。彼らは命が尽きるその時まで、彼方此方あちこち彷徨さまよい、おごった罪に相応ふさわしい罰を受けていた。
それぞれの半身は、かたれた自分の姿を恥じ、最終的には不満に抱きながら、何よりも貪欲に憧れ、何よりも動揺を覚えながらも、半身を求め、そのために奔走するのである。
それゆえ、プラトンは次のように言っている。

「全一への希求と追慕は愛と呼ばれる。」

そして、私が知っている限り(もちろん、私は多くのことを知らない者だが)、このプラトンの言葉は核心を突いていると思う。

ニコラス・クラッブがギリシャ語を忘れているのは、文化人ならば誰もが識っていることだった。彼は私たちと同じようにプラトンを読んでいた(知的遊戯として)。今となっては客観的となったプラトンの概念から特別な影響を受けるということもなかった。
確かに、彼はまともな社会で行われているような恋愛については慣れていなかった。彼にとって女性とは、自分とはまったく異なる神秘的な存在だった。彼の心の奥底では、たとえ彼女の関心を買ったとしても(彼にとって価値の決まっている女性には一度たりとも会ったことがないが)、心の奥底では、彼女たちが自分とはまったく違う人間であること、彼女たちが弱く、むしろ優しい存在であることを知っていて、男性にとって、彼女たちに親切にし、助け、気を配ることが義務であると考えていた。
総じて、彼は人間の女性(その人が功労者であろうと無価値であろうと)を、そのように扱った。
彼女たちが笑い、彼と対等に話し、行動するとき、彼はそれに合わせて一緒に戯れ、悪ふざけもした。しかし、その率直さ、単純さ、無頓着さ、疑わしさのない彼の人柄が、逆に彼をとんでもないトラブルに巻き込むこともあった。
これが人間の女性の悪いところだ。彼女は図々しく出てきては、男と冗談を言い合ったり、馬上槍試合舌戦を演じたりする。彼は自分の強さを忘れてしまい、対等にするからこそ、突然、知らず知らずのうちに、彼女たちを傷つけてしまう。彼女たちは女性という要塞性質に逃げ込み、周囲の空気を遠吠えで満たすようにつとめる。彼女たちはニコラスにという存在への殉教者だった。彼は知っている。自分が愚かで、勘違いした獣であることを。

クラッブと女性との関係は、おおむねこのようなものだった。彼は生まれつき女性を壁龕へきがんに置かれた女神のように扱い、堂々とした騎士道精神を持って、ひざまづいた。

彫刻を座する窪みである壁龕へきがん


原則として、彼は女性の肉体的な美しさを賞賛することはなかった。彼女たちを、奇跡を起こす由緒正しい黒い聖母ブラックマドンナたちを見るよう見ていたのだ。
だからか、その装飾には、彼はただただ気分が悪くなった。その空虚でとりとめ留めのないパッチワークには、彼はusque ad nauseam吐き気を催すほどだった。

黒い聖母は、西方キリスト教において、聖母マリアと幼子イエスを描いた彫像や絵画を指す。
個々のイコンや彫像の黒い色調について論争を呼んでいるものも存在する。

あなたも、その涙を誘うほどに哀れな紡績女工やいかめしい帽子を被った馬面の未亡人は話は彼から聞くべきだっただろう。そして、彼が牧師やその夫人たちのゴツゴツとしたクズ同然の服装に激怒し、それを我慢しているのも見るべきだったかもしれない。
学長夫人や、まだ男を惹きつけようとする仕立て屋の女に対しても、彼が猛烈に我慢をしていることも。けちくさいボア、カチャカチャ鳴るビーズ、混合されて出来たハンドバッグ、男物か女物かわからない異質なハイヒール、愚かな太ったストッキング、愚かな太ったストッキングと固いウエスト(ああ、ウェヌス・アナデュオメネよ。)どら猫柄の、ノミに食われたようにみすぼらしい鳥の巣のような、フェルトにボロ袋の傷や巨大なカリフラワーを貼り付けたかのようなくしゃくしゃの残骸のような帽子。

ウェヌス・アナデュオメネは絶え間のない処女性の更新を彼女に準えた、ヴィーナスの誕生、即ち美の女神アフロディーテの図章表現。


しかし、ときどき、彼は若い娘に見惚れた。そのみずみずしい若さ、しなやかな力強さ、その可憐なばかりに手際の良い打算的な社会性に。
そして、彼女が隠さなければならないもの、彼女が今後なりそうなものへの恐るべき予感で、彼は心の鏡から彼女を消し去った。彼はこのような生き物を自分のものにしたいと思ったことはなかった。彼は決してその誰か一人と、取り返しのつかない関係になるとは考えたこともなかった。
しかし彼は、自分が孤独の中で完璧であるにはほど遠いことを知っていた。他の男たちが求婚し、結婚し、幸せそうに暮らしているのを眺めていた。 それが正しい道なのだろうかと考えたものだ。彼らはわずかなもの、手に入るもの、手に入れられるもので満足していた。けれども、彼は何にも満足しなかった。

彼は青少年との友情、後輩たちとの友情を試みた。先輩ともだ。若者たちは彼の強さ、機知、並外れた専門性に憧れたが、自分たちの仲間のために彼のもとを去った。同年代の男たちは、人間でありながら、彼が惜しみなく注いでくれた無限の信頼の大きさと重さに圧倒されて、そのうち、必ずと言っていいほど彼を卑劣に利用し、奪い、傷つけ、半殺しにした挙げ句に、去っていった。老人は彼を寵愛ちょうあいはしたが、最後には憐憫れんびんと恐怖の念を抱かせた。
友情はすべて失敗に終わった。彼は何にも満足出来なかった。
人々は、彼は多くのことを求めすぎたと語る。
彼は忠誠心を求めた。
友を満足させるために、自己を犠牲にし、それを実行する忠誠心、
彼は名誉を求めた。
停滞を避けるために自由に喧嘩をし、そして心地の良い安息のために和平を結ぶこともできる名誉を。
しかし、如何なる理由があろうとも、友だちではない人間の言うことなど、何一つ聞こうとはしない。
そして、彼は友人に、永遠の揺るぎないものを求めた。

彼が何を求めていたのか、おわかりいただけただろうか?彼が求めていたのは(より良い)半身だ。情熱的な巡礼者として、全一を追い求めている。
追い求める?そう、ゆっくり、しかし急ぎながら。彼の心は大きく開かれ、両腕を広げ、胸をはだけさせている。
一つに溶け合う伴侶を、全身全霊で追い求める、その熱烈な欲望に燃えていたのだ。


第三章へ続く

次回は10/1〜3頃の更新になります。

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