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自然に木馬を買って帰れる人間になりたい。

暗黒舞踏を観たいなぁ、という思いが高じて、インターネッツで調べてみると、麿赤兒率いる大駱駝艦の『脳-BRAIN-』の公演がもうすぐあるそうだ。

然し、無論、東京であるから、観ることは出来ない。いや、行こうと思えば行けるのだが、お金もあんまりないし……。たまに、地方から遠征で観劇に行って、当日公演中止とかなるニュースを目にするが、とんでもなくショックだろうなと思う。

私は、観劇が好きなのだが、然し、最近は全然観ていないし、然し、すごいポスターだ。すごいデザインだ。すごいレイアウトだ。

 FFのラスボスもまだこの路線はのやつはないな。いや、4とか5とか6はこれに近いかもしれないな。集合体だし

そして、脳みそを頭に被せる麿赤兒。
麿赤兒、と、いえば、『どついたるねん』を思い出す。

『どついたるねん』には、原田芳雄も出ていた。日本の俳優で一番好きなのは誰か?と問われれば、原田芳雄か根津甚八。
原田芳雄はいつも濡れていて、それは汗なのか、油なのか、わからない。いつもテカテカしている。
根津甚八はじっとりしている。あんまり口を開いている印象がない。
そして、『どついたるねん』は原田芳雄の映画ではない、赤井英和の映画であり、赤井は、重症を負った試合で、手術室で意識を戻して開頭している場所に触れた際に、脳みそに手が触れて、その瞬間凄まじい嘔吐感に襲われたそうだが、このエピソード、重要だ。実際に体感することは、思いも寄らない表現が産まれてくる。これは、実際に体験しないと思いもつかない表現だ。

で、原田芳雄の方も、『ツィゴイネルワイゼン』でも強烈な印象と色気だったが、麿赤兒が忘れられない。麿赤兒は『ツィゴイネルワイゼン』でも妙な役をしていて、私は、ツィゴイネルワイゼン、と、いうか、鈴木清順の映画は全然覚えていないが、麿赤兒と、原田芳雄の色気だけは覚えている。

そして、麿赤兒からの聯想で、『愛のコリーダ』の殿山泰司を思い出す。殿山泰司は、そのおちんちんをスクリーンいっぱいに見せていた。しかも、元気のないおちんちんだ。まぁ、スクリーンいっぱい、というのは誇張だが、すごいことだ。


そういえば、私は最近、『追悼のざわめき』のパンフレットを読んでいて、乞食役の方が大駱駝艦の方だと初めて識った。そういう、出自がはっきりすると、安心する。ああいう、禍々しい映画を観ると、どうも怖いので、やはり、現実と地続き、いや、映画、なのであるから、現実と地続き、と、いうのは、当たり前、なのだが、然し、どうも、現実と隔絶した感のある匂いがすると、やはりドキドキしてしまう。

そういう意味で(どういう意味だ)、暗黒舞踏の舞台も観たいのである。

昨年、京都のロームシアターで『バラ色ダンス』のポスターが貼ってあって、観たいなぁ、と思いつつ、然し、時間もなく観に行けかなかった。そういうことが多すぎるのだ。ヨルゴス・ランティモスの『憐れみの三章』も多分行けないなぁ……。『シビル・ウォー』は観たいなぁ……。

『バラ色ダンス』といえば、土方巽と大野一雄だが、この二人は、三島由紀夫の『禁色』の題名を勝手に拝借した舞踊を発表、そのセンセーショナルな作風に、協会から猛クレームがあり、多くの観客が席を立った。そして土方と大野は協会を脱退する、まぁ、アナーキーな二人である。この公演の横尾忠則デザインのポスターが美しいのだ。

そういえば、先週日曜美術館のアンコール放送で、宇野亞喜良と横尾忠則の回が放送されていたが、二人が会話している部屋に様々なオブジェが置かれているわけだが、その中に木馬があって、ああ、いいなぁ、ああいう、アンティークの木馬、いいなぁ、いいなぁ、と思って、なぜって、ああいう、部屋にアートが入り込む、というか、自然に木馬を置ける、というか、
そういう感覚、そういう手遊び、そういう軽やかさ、のようなものが、私の人生に欠けている。美しい木馬、それなりのサイズの木馬、もう、西洋だろうが東洋だろうが、それは問わないから、とにかく木馬が欲しい。

最後に、宇野亞喜良がたい焼きを食いちぎっていて、今度はたい焼きが欲しくなる。たい焼きは美味い。むろん、一番好きなのは尻尾で、あんこの入っていない部分だ。粒餡と漉餡ならば、私は漉餡派だ。でも、粒がある方が、人の心に残るのかもしれない。
宇野亞喜良は90歳だ。おしゃれすぎる。そして、横尾忠則は88歳だ。元気すぎる。そういえば、天野喜孝のドキュメンタリー映画はどうなった。2026年には『ZAN』というアニメーション映画も公開する。観るものが多いなぁ。

で、暗黒舞踏だが、大野一雄の『胡蝶の夢』を繰りながら(めちゃくちゃでかい本だから手が痛い)、今やってる舞踏家だって、いつ観られるなくなるかしれないわけだから、生で観ることの出来る機会というのは得難い、本当に得難いものなのだ、それをみすみす逃す、そのようなこと、然し、現実問題、人間は、お金と時間、それに縛られているわけで、ああ、堂々巡り。

ああ、くそう。こうなったら、私の頭の中に空想の東京を拵えて、空想の大駱駝艦を拵えて、空想の舞台で空想の踊りを踊ってもらおう。
『脳内ニューヨーク』のように……。



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