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書店パトロール73 清濁

『地下演劇』の第7号をパラパラと眺める。

ふ、太い、そして、重い重い。価格は5,000円弱。当然だ。

『地下演劇』は50年ぶりに出たのだという。今年の4月に出ていて、識らなかった。これは欲しいなぁ、と思いつつも、然し4,950円だ。
無論、棚に戻す。津田梅子くらい、簡単にさっと出せるようになりてぇ……。と、思いつつ、然し、こう、5,000円で煩悶する方が、人として正しいのだ。
然し、本のデザインが最高にクールだ。やはり、デザインは中身を凌駕する。逆もまた然り。

で、その近辺に小林旭の本が。

何だろうなぁ、映画、とか、文学、でもいいのだけれども、そこに居合わせなかった時代、間に合わなかった時代、というのは羨望の目で見てしまうものである。
私は間に合わなかった。色々なものに間に合わなかった。

然し、けれども、今年出た、『ひらばのひと』の5巻で、そういうエピソードがあって、主人公は講談師だが、講談華やかりし時に間に合わなかった世代として描かれていて、主人公もそれに引きずられているのだが、然し、自分が間に合ったものもあるし、それを大切にしたい、と、言うのだが、そのマインド、うーん、マンダム、であり、やはり、間に合ったものはたくさんあるわけで、今は令和、令和の神話の中に生きているので、それを誇りに思うべき、なのかもしれない。と、ぬーべーを呼ぶ声が聞こえてくる。

そんな時、今度は木久扇師匠の本がこちらを手招きしている。

インタビュー形式で昭和芸能史の交遊録を語っていく。
こういう交友エピソード本は好きだし、読みやすそうだ。2,200円。2,200円、は大金ではあるが、まぁ、最近、本当にこの規模の本が1,800円〜2,200円くらいのイメージ。前にもnoteで書いたけど、本は確実に値上げしていて、漫画の単行本のジャンプコミックスだって、今じゃ572円、15年くらい前は440円とかだったのに……。こういう本は比較対象がないからわかりにくいが、一昔前は1,400円とか1,500円くらいだったろうなぁ。

で、その近くに、同じ様に、重く、というよりも、鬼のように分厚い、そんな本。

これ、800頁くらいあって、激烈に分厚いのだが、紙質のせいか、案外軽かった。これも重たいし、濃厚にすぎて読むのはなかなか骨が折れそうだ。
やはり、津山三十人殺し、と、いえば、金田一耕助、つまりは、渥美清、と、いうか、山崎努を思い出す。こわいこわい山崎努、でも、ついついみちゃう、殺戮シーン。

人間には両方がある。殺戮シーンを観たい自分、現実の殺戮を憎む自分。人間とは何なのだろうか、というのを常々考える。

人間は、美しく、清らかで、残酷で、醜い。誰しもが美しく、誰しもが醜い。人間については、いくら考えてもわからないことばかりだ。だから文学、芸術が発展しくわけであるが、まぁ、山崎努、を思い出していると、菅原文太を思い出した。いや、菅原文太さんの本が目に入ったので。

これは昔出た評伝の文庫版。飢餓俳優、飢餓海峡。
然し、菅原文太、絵になる男、なんたって、赤犬、サカズキであるから。サカズキは、行き過ぎた正義の執行者であり、マグマグの実の能力者であり、海軍元帥だったはずだが、正義とは何だろうなぁ。正義と優しさ、それはやはり、優しさ、の方に価値があるのだろうと、そう思っている。
けれども、正義も必要だ。バランスが大事なのだろうが……。

と、そのように、埒もない、中二病のようなことを考えながら歩いていると、チャンドラーの名前が。

チャンドラー講義。私、チャンドラー、あんまり詳しくない。
だって、チャンドラーは、村上春樹側の人間だろう?いや、村上春樹がチャンドラー側なのか?
チャンドラー、と、いえば、私には、マシュー・ペリー。嗚呼、マシュー・ペリー。私は『フレンズ』が大好きで、全シーズン、ちゃあんと観たが、でも、実は、『ジョーイ』は観ていない。若い頃は、ジョーイが好きだった。でも、今は一番好きなのはチャンドラーだ。でも、マシュー・ペリーに謝りたいのは、ごめん、貴方の肉声でドラマを観たことはなかったんだ。私は、いつだって、水島裕さんの声で、チャンドラーを観てきた。それに、『隣のヒットマン』、あれも、吹き替えで観たんだ。ごめんね。

で、フィービーも思い出す。フィービー、田中敦子さん。なんか、今年は、あまりにも、自分の好きな方々が逝ってしまわれて、悲しい思いばかりだ。で、フィービーも、リサ・クドローの声では聞いたことがない。いつだって、声優さんの吹き替えで、その音楽のような声に、親しんできた。




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