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劇場版 すずめの戸締まり 封印されたカード

『カードキャプターさくら』は萌え漫画であり、魔法少女ものであるが、一度、2000年に完結し、2016年に新章として『クリアカード編』として再開しているのだが、私は、『クリアカード編』に関しては2巻までしか読んでおらず、そろそろ読むかな~とか思っていたらもう13巻まで発売していて、来年発売の14巻で完結するのだという。

『カードキャプターさくら』は、温かみのある絵柄で、登場人物全員が優しく、平和な世界である。
危機が起きても、主人公の桜ちゃんの「絶対にだいじょうぶだよ」という、根拠のない言葉通り、大抵のことは大丈夫であり、作中における教師と小学生の恋愛ですら大丈夫という、ウルトラにオールライトな世界である。

『クリアカード編』は2巻までしか読んでいないので、もしかして寺田先生は既に逮捕されているのかもしれないが、とにかく、私は『カードキャプターさくら』という、最早概念とかしてしまった作品の、12巻の異常性、というよりも異形性について、偶に考えたりしていた。

基本的に物語は、桜ちゃんは知世ちゃんの作ってくれた衣装を着て、封印の解かれたクロウカードを集める話なのだが、切迫感はない。そして、その物語を縦軸として、時代を先取りしすぎた全方位カバーの恋愛模様が各所で繰り広げられるという横軸があり、それが見事に(?)織り上げられて、不思議なタペストリーとなっている。
ゴールド・ロジャー曰く、「この世の恋愛の全てをそこに置いてきた」とも言える、完全なるワンピースであり、その終着点に主人公の桜ちゃんの恋愛の帰結があるのだが、最終12巻はそれで丸々話が費やされる。


12巻では、桜ちゃんが小狼くんに告白されて、彼を意識してしまい、それから友達などの恋愛観を1話ごとに聞かされて、最終的には自分の気持に気付いて小狼くんと結ばれる、という話なのだが、この12巻は今までの巻とは異なり、桜ちゃんの心象に迫っていき、なんとも言えないポエジーの世界、内側の世界に迫っていく。だんだんと視界が狭まるような、桜ちゃんと小狼くんだけの世界が構築されていき、その背景に花々が咲き乱れて、魔薬のごとき恋心の具象化された世界へと変幻していく。
何よりも、今巻では魔法はもうない。
少年少女の頃の恋を超える魔法などはない。

ところで、私は『すずめの戸締まり』を観た際、エンディングで何か既視感を感じていた。なんだろう、このデジャ・ヴュは……と、思っていたが、それは、『君の名は。』『天気の子』同様に、『すずめの戸締まり』も再会シーンで結びがつくからかな~とか思っていたが、いや、これは『劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード』ではないかと思い至る。

まぁ、ほとんどの映画、特に男女の色恋が絡むと、この終わり方が一番盛り上がるからしょうがないのかもしれないが、『すずめの戸締まり』の再会シーンで、CHAKAの『明日へのメロディー』を流しても、普通に成立するのではないか?てか、基本的には内容一緒じゃね?


今作では、封印されたカードである『無』を再び封印するために、一番大切な思い、つまりは愛する人への恋心を、引き換えなければならないのだ……。
鈴芽もまた、愛する人とセカイを天秤にかけられて、苦渋の決断をするわけだが……。

つまり、『すずめの戸締まり』は新海誠版の『カードキャプターさくら 封印されたカード』であり、閉じ師とかいうのも、普通にただの魔法使いであり、鈴芽は魔法少女である。

然し、新海誠の世界は優しい世界ではない。今作でも、鈴芽のおばさんの環さんが胸の内を吐露するシーンがあるが、然し、なんかよくわからないうちに和解していたが、なんでだっけ?

とは、言いつつも、やはり、鈴芽を囲むセカイもまた、優しいセカイだったのである。
鈴芽が最後にある人に伝える言葉は、それを如実に物語っている。
思えば、この天災三部作における、三葉も、陽菜も、そして鈴芽も皆、魔法少女だったではないか。

特質系能力者。
天候を自由に操る能力者

『明日へのメロディー』の歌詞、

恋する奇跡 秘密を解いて あなたの元へ走る

の言葉通り、みんな、あなたのもとへ走るのである(まぁ、『天気の子』で走るは穂高なんだけど)。

鈴芽は、前半はローファーだが、後半はブーツに履き替える。これもまた、魔法少女のブーツであり、制服は彼女にとっての衣装なのかもしれない。この一連の着替えのシーンは、ある意味変身シーンとも言えるのかもしれない。

宮崎駿は、魔法少女を題材に、魔法ではなく、リアリズムと現実性を描いた。
新海誠は、魔法少女を魔法少女と謳わずに、現実性に溶け込ませた。



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