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アンドロギュノスの恋人たち

渡辺温わたなべおんという作家がいた。
本名はゆたか。27歳で夭逝した作家である。

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彼には『アンドロギュノスのちすじ』という作品集があり、これは薔薇十字社から刊行されているものは高値で取引されていて、数万円する。
これは10年ほど前に、創元推理文庫にて復刊されているので、お安く購めることが可能になった。中古では数千円で買える。


幻想小説家であり、編集者でもあった。雑誌『新青年』編集部で働いていて、当時兵庫県神戸市岡本の鎖瀾閣さらんかくに住んでいた谷崎の元へ、原稿の催促に赴いた際に、乗っていたタクシーが貨物列車と衝突して死亡した。谷崎はこの後、『新青年』に『武州公秘話』を連載する。
『武州公秘話』はこちらに書かせて頂いた。

私が渡辺温を識ったのは、彼の作品である『父を失う話』を読んだからだ。

『父を失う話』は、短編で、既に青空文庫にあるので読んで頂くと内容がわかると思うが、基本的には登場人物は三人しか登場しない。主人公の少年である私と、その父親、そして役人の三人であるが、この父親は少年が目を覚ますと髭を剃っていて、息子に向かって俺はお前のお父さんじゃないぜ。髭があるとお父さんっぽかっただろう?的なことを言う。息子は嘘だ、嘘だと言うが、髭を剃ったお父さんは息子と10くらいしか歳が違わないほどに若く見える。
そうして、お父さんだった男は、息子と港へ生き、船に乗って行ってしまう。
この後、息子は役人に父親のことを聞かれるが、髭を剃った父親は、役人と同じ顔だと、彼はそう言うのだった。

奇妙な味わいの短編で、然し、実存の不安を書いていて、心に残る作品である。私達は、本当の父と暮らしていたのだろうか。母と父では決定的な違いがあり、父は、父であることを証明できない。

渡辺温は27歳で亡くなったから、作品も少ない。生きていれば、一つの大家になっていたやもしれない。
彼は、恋人がいて、それは女優の及川道子だった。

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及川道子は少女時代から渡辺温と親しく、これに関しては、Wikipediaの及川道子の逸話を読むと詳しく掲載されているから参照されたいが、及川道子もまた、彼とほぼ同い年であった26歳で夭逝している。彼女の場合は結核という病ではあるが、あまりにも奇縁だろう。

渡辺温が21歳頃、及川道子は13歳頃での出会いだった。
モダニズムに傾倒していた渡辺に、劇団時代の及川は、憧れに似た恋を抱いていたのか。
二人は、年齢は違えども、27歳と26歳の若さで亡くなった、生きている時も、そして死でも分かたれた恋人たちは、ついにその歳が重なる折に、天國で再会する。

美しい小説を書く人は、実生活は美しくないことが多い。だから小説に美を仮託しているわけだ。この二人とて美しくない死に様だったかもしれないが、まるで描かれた物語のような美しさが、今でも残されている。




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