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詩小説 『竹の子』とマンドリン

私の好きな小説に、『竹の子』という作品がある。

私の友人であるゴタンダクニオさんの書いた本で、私家版を頂いた。
ゴタンダさんの書いた本はいくつか頂いて全部読んだが、一等これが好きだ。いや、私が読んだ小説の中でも一等席に置いておきたい本だ。

女子高生と、若い僧侶の話であり、これは彼女の恋の話の該当するのかわからないが、大枠では青春小説と呼べるだろう。

ゴタンダさんは短歌や詩などを書かれているが、私的には、作者は小説に一番天禀があると勝手に思っていて、『竹の子』の私小説的な、いや、詩小説的な淡いタペストリーめいた感情の編み方には、なかなか舌を巻く。
それほど大きな物語ではなく、感情と、感傷とに彩られていて、美しい小説になっている。

会話の小気味よさ、地の文の丁寧さ、読ませる巧さであり、リズム、センスに秀でている。これは、音楽を主題の一つとした物語。或いは楽器ではあるが、作者のセンチメンタリズムを最終2ページで予兆へと転じさせるのも読後感が良い。最後の一行がたまらなく良い。

最近は短歌や詩などをメインで書かれているが、小説をまた書いて欲しいと思っている。

今作にはマンドリンが出てくるので、萩原朔太郎を思い出す。

朔太郎はマンドリンを弾く詩人だったが、彼は娘と晩酌の後に演奏する時、「音楽は正確なテンポと感情が大切だ」と彼女に教えてくれたという。
曲は、大抵はエンリコ・トレルリの『嘆きのセレナーデ』。


詩も同様であり、日本は韻文が発達せず、散文、或いは律文において飛躍的に進化を遂げたが、韻文こそが本来の詩であるかもしれないが、私はフランス語も、ドイツ語も、英語も、ぜーんぜんわかんないので、むりむーり、である。
朔太郎はゴンドラ洋楽会、後の上毛マンドリン倶楽部を組織して、月謝を取ってマンドリンを教えていたと言うほどの音楽家であり、彼は、音楽家こそが最も偉大な藝術家であると確信していた。

萩原朔太郎の詩には、私の大好きな『青猫』がある。この『青猫』の底本はマーブル装で、めちゃくちゃデザインがきれいなので欲しいなぁ、とか思ったり。
音楽と詩、というのは同質のものである。正確なテンポで感情を刻んだのが、朔太郎の詩なのであるから。

この美しい都会を愛するのはよいことだ
この美しい都会の夜景を愛するのはよいことだ
すべてのやさしい女性をもとめるために
すべての高貴な生活をもとめるために
この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ

『青猫』※一部抜粋




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