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【徒然草 現代語訳】第百七十段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
さしたることなくて人のがり行くは、よからぬことなり。用ありて行きたりとも、そのことはてなば、とく歸るべし。久しく居たる、いとむつかし。
人のむかひたれば、詞多く、身も草臥れ、心も閑ならず、萬のことさはりて時をうつす、たがひのため益なし。いとはしげにいはむもわろし。心づきなきことあらむ折は、なかなかそのよしをもいひてむ。おなじ心にむかはまほしく思はむ人の、つれづれにて、「今しばし。けふは、心閑かに」などいはむは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。
そのこととなきに人の來りて、のどかに物語りして帰りぬる、いとよし。また、文も、「久しく聞えさせねば」などばかりいひおこせたる、いとうれし。
翻訳
取り立てて用向きがあるわけでもないのに人ん家にお邪魔するのは、はっきり云ってよくない。たとえ用があったにせよ、用事がすんだらとっととおいとました方がいい。だらだらと長居をするのは、実に鬱陶しい。
人と人が向かい合えば、どうしても喋り過ぎてしまい、身体も凝るわ、心もかき乱されがちだわで、ありとあらゆることに支障をきたし、ただただ時間を浪費するばかり、お互いに得るものはない。だからと云って、それを口調に滲ませるのも考えもの。気に入らないことがあるなら、思い切ってはっきり相手に伝えてはどうだろうか。もっとも、気心が知れ一緒にいたいと思う相手が、自分が暇を持て余している時に、「今日はもうちょっとゆっくりしてってくださいね」などと云うのは、その限りではないだろう。お気に入りの相手とは青眼で、気にくわない俗物とは白眼で対応したという阮籍の振る舞いは、誰にだってありうることなのだ。
一方、特に用もないのに気の置けない友人がふらりと訪ねてきて、のんびりと四方山話をして帰る、あれくらいいいものはない。また、手紙で、久しくお逢いしておりませぬが……、とだけ書いて寄越したりするのも、しみじみ嬉しいものである。
註釈
○人のがり
人のところ、人のもと。
○阮籍
がんせき。三世紀晋の時代の人にして、竹林の七賢人の一人。白眼視という言葉はこのエピソードによる。
読後、「えっ?」と思われた方も多いと思います。
冒頭と末尾、あきらかに矛盾してるじゃん!
はい。確かに仰る通りなんですが、ここが人間兼好の心模様なんですね。
独りを好む者に限って、一人が苦手なんですよ。
そういうところ、ためらいもなく包み隠さず書くから、徒然草は700年以上読み継がれてきたんじゃないでしょうか。
追記
猫さえいてくれりゃいいって時、正直ありますねぇ。