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【徒然草 現代語訳】第百六十段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
門に額かくるを、「うつ」といふはよからぬにや。勘解由小路二品禅門は、「額かくる」と宣ひき。「見物の桟敷うつ」もよからぬにや。「ひらばりうつ」などは常のことなり。「桟敷かまふる」などいふべし。「護摩たく」といふもわろし。「修する」「護摩する」などいふなり。「行法も、法の字をすみていふ、わろし。濁りていふ」と、清閑寺の僧正仰せられき。常にいふことに、かかることのみ多し。
翻訳
門に額をかけるのを、「打つ」と云ってはいけないのだろうか。勘解由小路二品禅門経尹公は「額をかける」と仰せになられた。では「見物の桟敷を打つ」も駄目なのか。「平張りを打つ」はわりと普通に遣われているのに。どうやら「桟敷を構える」などと云うのがいいようだ。そうそう、「護摩を焚く」と云うのも最悪。「修する」さもなくば「護摩する」というふうに云わないと。「行法も、法の字を濁らず「ほう」と読むのはけしからん。濁って「ぼう」と発音するのが正しい」と、清閑寺の道我権僧正は仰った。普段何気なく遣っている言葉に、この類いの間違いはごまんとある。
註釈
○勘解由小路二品禅門
かでのこうぢのにほんのぜんもん。藤原経尹(つねまさ)。世尊寺流の書家。在家のまま仏門に入った人を禅門と云う。
○ひらばり
平張り。柱に幕を張っただけの小屋。
○清閑寺の僧正
権僧正道我(どうが)。勅撰歌人でもあった。
「弁当」は遣う、「電話」は掛ける、「日記」は付けるです。断じて!
追記
「セックス」は「する」でいいかと思いますが、個人的には「情を交わす」もしくは「まぐわう」を遣います。