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【徒然草 現代語訳】第百四十三段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

人の終焉の有りさまのいみじかりしことなど、人の語るを聞くに、ただ、閑にして亂れずといはば、心にくかるべきを、おろかなる人は、あやしくことなる相を語りつけ、いひしことばも、ふるまひも、おのれが好むかたにほめなすこそ、その人の日来の本意にもあらずやと覺ゆれ。

この大事は、権化の人もさだむべからず。博学の士もはかるべからず。おのれたがふ所なくは、人の見聞くにはよるべからず。

翻訳

人の臨終の様子の天晴れであったことなど、人から伝え聞くにつれ、シンプルにひっそりと取り乱されることもなく逝かれましたと云えば、こちらもああそうでしたかと静かな感動に浸れるものを、低脳は、ありえないオカルトめいた様相に脚色し、残した言葉も最期の振る舞いも、とかく自分に都合よく褒めそやす、あれなんぞ故人の常日頃からの意思とはとうてい思えない。

死、この一大事に関してだけは、神仏の化身と崇められている人にさえ定めることかなわず、いかな博学の徒をもってしても予測不能なのである。己に照らして間違っていなければそれでよし、他人があれこれどうこう云ったことでその価値が左右されるものではない。

註釈



近年、誰かが死ぬと、ワイドショーを中心に次の瞬間からその人の神格化が始まる傾向が顕著になっていますね。
もっとも菅原道真や平将門を持ち出すまでもなく、特定の人物の神格化の歴史は今に始まったことではありません。かつては故人を死に追いやった罪悪感、ひいてはその祟りを怖れるがゆえの神格化でしたが、今日びのそれはいささか様を異にしているように思われます。
死人に口なし、その人を(とりあえず皆して)褒めちぎっておけば、感動の足りない世の中にいっ時の潤いを与えられるという安易で傲慢な発想。同時に(脚色していると本人は自覚していない)エピソードを語る自分も束の間「いい人」になりおおせることが出来、同時に自分が死んだ時にも同様の成り行きになってもらいたいとの無意識の願望も働いているような気がします。たとえ偽りの祝福に包まれても、皆さん天国や極楽に行きたいし、行ってもらいたいんですね。

この段を読めば、そういう愚か者どもの所業は、すでに700年前からあることがよく解ります。

追記

人物だけにとどまらず、コロナ禍で閉店を余儀なくされた飲食店を、やたら惜しんだりするのも似た精神の働きが感じられます。そんなに惜しい店だったんなら、三日とあけずに通いつめ(てあげ)ればよかったのに。ま、こちらは後ろめたさもあるんでしょうけどね。

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