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源氏物語 現代語訳 紅葉賀その6

 頭中将は、源氏の君が常々真面目な振りをして自分を詰問されるのが癪に障っており、なに喰わぬお顔できっとあっちにこっちにと忍び歩かれておられるに違いない、いつか現場を目撃してやろうと虎視眈々と機会をうかがっておりましたが、そんな矢先にこのような絶好の場面に出くわして大喜びしております。せっかくの好機ですから、少し吃驚させて慌てさせ、「懲りたでしょ」と告げるつもりで油断させているところです。

 冷たい風が吹いてきました、夜も徐々に更けてゆきます、少しうとうととしているような気配ですので、頭中将がそっと忍び込みますと、源氏の君は呑気に眠っていられるようなご気分ではありませんから物音に敏感に反応されました、ただよもや頭中将とは思いもよらず、さてはあのしつこくつきまとう修理大夫だな、あのようなご老体に、こんな釣り合わない関係を見咎められるのもみっともないと思われ、「ああ鬱陶しい。帰ろう帰ろう。蜘蛛の動きで誰が来るか判っていたはず、謀られましたね。」と云い捨てられ、とるものもとりあえず直衣のみひっ掴んで屏風の後ろに身を潜められました。頭中将は吹き出したいのを懸命にこらえ、源氏の君が広げられた屏風に近寄りますと、ぱたんぱたんと畳みながら大袈裟に騒ぎ立てます、典侍は年こそ喰っていますが、すこぶる気取り屋で色気たっぷりですから、以前にも同様の騒ぎに驚いたことが何度となくあり、馴れたものなのですが、それでも動揺は隠しようがなく、この源氏の君をどうなさるおつもりかと不安のあまりわなわなと震えながらじっとお側に控えております。源氏の君といたしましては、正体がばれないようにすり抜けてゆきたいのですが、こんなだらしない格好で、冠もずれたまま走り去るご自分の後ろ姿を想像されますだに莫迦げていて気が引けておられます。

 頭中将も同様になんとしても馬脚をあらわさないよう、黙ったまま、怒り狂った呈で太刀を引き抜きますと、女は「貴方、貴方」とこちらを向いて拝むように手を擦り会わせますので、抱腹絶倒しそうになりました。うわべは艶っぽく若ぶって淑女然としておりますが、五十七にも八にもなる老女が、なりふりかまわず狼狽しております姿、あろうことか二十歳そこそこの隆とした貴公子二人に挟まれておののいておりますのは、まことにもって噴飯ものです。頭中将はすっかり別人になりおおせている気分で恐がらせておりますが、実のところ源氏の君はとっくに勘づかれており、私と知ってこんな戯けたことをするんだなと阿呆らしくなっておられます。

 しかと相手の正体を見抜かれた源氏の君は、可笑しさのあまり、抜いた太刀を握っている腕を掴んで思いっきりつねりあげますと、ばれた悔しさはあるものの、頭中将は耐えきれず爆笑してしまいました。「真面目に気は確かですか。冗談もほどほどにしないと、ね。さ、この直衣を着なくては。」と仰いますが、それでもぐいと握って離しません。「それなら貴方も一緒だ。」と頭中将の帯を引いて脱がせようとなさいますので、方やは脱がされまいとして、どたばたしているうちにあちこちが綻んでしまいました。頭中将が、

秘密になさっておられる浮名が漏れるでしょうね、ここまで引き裂かれた直衣からは

こんなのを上に着た日には丸分かりですよ、と云います。そこで源氏の君は、

隠しきれないと分かって着ている夏衣です、それを薄情と見ますかね

と云い合って、お互い恨みっこなしのていたらくになり、揃って出てゆかれました。

 源氏の君は、目撃されたことの忌々しさからふて寝なさいました。典侍はすっかり度胆を抜かれ、現場に落ちていた指貫や帯他を翌朝にお届けいたします。

恨んだところでどうしようもありません、こちらは重なるように押し寄せた波の名残でございます

底も露になってしまいました、と認められております。なんという面の厚さと呆れられ憎たらしいと思われますが、昨夜の呆然とした様子が思い出されますとさすがに気の毒にもなられ、

重なってきた波には驚きもしなかったけれど、寄せつけた磯は恨まずにいられようか

とだけ返してやりました。しかもよく見れば帯は頭中将のものではありませんか。更にご自身の直衣より色が濃いような気がして検分されますと、袖口もなくなっています。踏んだり蹴ったりだな、まったくふしだらな行為に耽る者は、ついこうして愚かな痕跡を残す羽目になるのだと、いたく自責の念に駆られておられます。その後、頭中将が宿直所から、「こちらをまず繕わせましょう」と、件の袖口を送り届けてまいりましたので、一体どうやって取ったのだろうと歯噛みされます。それでもこの帯がこちらにあるのがまだしも救いだと思われました。帯と同じ色の紙に丁重に包み、

この帯が途中から千切れてしまっていたら私のせいだと云われそうですから、手にとって改めてもおりません

と書き添えられました。すぐに返事があり、

ゆくりなくも貴方に引き取られた帯ですから、あの女との仲は終わったものと諦めましょう

根に持ちますからね、と書かれておりました。

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