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【徒然草 現代語訳】第百十八段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
鯉のあつもの食ひたる日は、鬢そそけずとなむ。膠にもつくるものなれば、ねばりたるものにこそ。
鯉ばかりこそ、御前にても切らるる物なれば、やんごとなき魚なり。鳥には雉、さうなき物なり。雉、松茸などは、御湯殿の上にかかりたるも苦しからず。その外は心うきことなり。中宮の御方の御湯殿の上のくろみ棚に雁の見えつるを、北山入道殿の御覧じて帰らせ給ひて、やがて御文にて、かやうの物、さながらその姿にて御棚にゐて候ひしこと、見ならはず、さまあしきことなり。はかばかしき人のさぶらはぬ故にこそなど申されたりけり。
翻訳
鯉の羹を食べた日には、鬢がそそけ立たないとか。膠の材料にもなるほどの魚なので、さぞや粘りけがあるのだろう。
鯉に限っては、お上の御前においてすら切られる魚ゆえ、抜きん出て貴なる魚である。鳥ならば雉、他の追随をゆるさない。雉、松茸等が、食料庫である御湯殿の棚に架けられていてもなんら支障はない。その他の食材は論外である。中宮のお住まいの、食料庫の黒み棚に雁が乗っかっていたのが見え、北山入道実兼公がご覧になられてからご自宅に戻られてすぐさまお手紙を認められ、雁のごときものが御棚に、あろうことかそのままの姿を見せて乗せてありましたのは前代未聞、不体裁この上ないことです。きちんと目配りの出来る者がお側にお仕えしていないからああいう無様なことになるのです、などとお小言を申し上げられたそうだ。
註釈
○中宮の御方
後醍醐天皇の中宮嬉子(きし)。後醍醐天皇とは仲睦まじかったと伝えられるが、皇子をもうけることは出来なかった。
○北山入道殿
西園寺実兼(さねかね)。従一位太政大臣。中宮嬉子の父。
鯉こくって、そんなに美味しいもんじゃなかったという記憶しかありません。
追記
個人的な魚の序列は、鯛、鱧、?の順です。