【徒然草 現代語訳】第百五十二段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
西大寺静然上人、腰かがまり、眉白く、誠に徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、あなたふとのけしきやとて、信仰の気色ありければ、資朝卿これを見て、年のよりたるに候と申されけり。後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、この気色尊く見えて候とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。
翻訳
西大寺の静然上人は、すっかり腰が曲がり眉も真っ白、見るからに高徳を備えておられるご様子で、ある日参内なさったところ、西園寺内大臣実衡公がお目に留められ、なんと尊いお姿であろうかと感服し、仏心を起こされたご様子だったので、資朝卿がそれを見て、ただ歳くってるだけでございますと申された。後日、みすぼらしく老いさらばえたむく犬を連れてきて、この犬も尊く見えましてございますと内大臣に進呈されたとかいう話だ。
註釈
○静然上人
じょうねんしょうにん。
○西園寺内大臣
西園寺実衡(さねひら)。親鎌倉派の公卿。
○信仰
この時代の読みは「しんごう」。
○気色
読みは「きそく」。
○資朝卿
日野資朝(すけとも)。権中納言。学才の誉れ高い親後醍醐派の公卿。佐渡島に配流ののち、同地で処刑され死去。無礼講の創始者とも云われる。
○後日
この時代の読みは「ごにち」。
○内府
読みは「だいふ」。
一大転換期にあった朝廷のパワーバランスをうかがわせる好段です。
資朝の日野家と云えば足利将軍の正室たちで有名ですが、元々中流の家柄で、資朝が権中納言まで昇進したのは学識を買われてのこと、異例中の異例でした。
資朝の気骨を伝える痛快な段ですが、その末路を知るだけに、一抹の危うさと哀れを感じますね。
追記
サラリーマンでこういうことやって左遷された人、知ってます。