
源氏物語 現代語訳 紅葉賀その5
そんな中にかなり年寄りの典侍で、家柄もよく心得もあり、気品もあって周りから一目置かれているにもかかわらず、どういうわけか甚だ色気過剰で、こと色事に関しては尻軽に振る舞いたがる女房がおります、源氏の君はいい年をしてどうしてああも破廉恥なんだろうと常々怪訝に思われており、冗談半分に口説かれてみましたところ、信じられないことに先方は不釣り合いだなどとはかけらも思っておりませんでした。呆れたと思われつつも、こういうのも面白いかもしれないと、時々口を利いたりはなさっておられますが、事が露見いたしますとなにせ相手はお婆さんですから、つとめて冷淡に接しておられますのを女の方はいたく恨みに思っているようです。
そんなある日のこと、典侍がお上の御整髪にご奉仕いたしておりまして、無事終了し、お上がお着替えの担当者を呼んでお召し替えをなさりにお出ましになりました、辺りには誰一人おりません、だからでしょうか件の典侍が、いつもよりえらく小綺麗に、姿、髪型も妙に妖艶で、装束もいたって華やかかつなまめかしく着こなしておりますので、いつまで若い気でいるのやらと源氏の君はうんざり気味に眺めておられます、一方でほんとのところどう思っているんだろうと見過ごしがたく、思わず裳の裾を引っ張って驚かせますと、品のいい絵が描かれた扇子を翳して顔を隠しながら振り返りざまねっとりと流し目を寄越します、その目は瞼がどす黒く落ち窪んでおりまして、髪の裾もほつれてそそけ立っておりました。
顔と扇子があまりにちぐはぐだと思われた源氏の君が、ご自身のものとお取り替えになり、改めてご覧になられますと、お顔が映るほど濃く赤い紙が張られ、金泥で塗り隠すかのように盛の絵が描かれており、裏面にはいたく時代がかりながらそこそこ雅趣の漂う筆使いで、「森の下草老いぬれば」とさらっと認められております、よりにもよってこの言葉を撰ぶとはと苦笑され、「森こそ夏の、の心意気ですか」と仰いますが、込み入った会話を交わすにはあまりに不似合いですから、こんなところを人に見られたら嫌だなぁと鬱陶しがっておられますものの、当の典侍はまったく意に介しておりません。
貴方がいらっしゃれば乗り馴れたお馬に草を刈って食べさせてあげましょう、盛りを過ぎた下葉ですけれど
そう口にする姿態のなんという婀娜っぽさでしょう。
笹を分け入れば誰かに咎められるんじゃありませんか、何頭もの馬が馴染んでいる森の木隠れでは
面倒は御免被りたいです、と仰って立ち去ろうなさいますのを強引に引き留め、「今だかつてこれほどの思いをいたしたことがございません。今さらいい恥晒しでございます。」とさめざめと泣き崩れます。「すぐに文を遣わせますから。想ってはいてもままならぬことがあるのです。」そう振り払って再びその場を後にしようとされますと、更に追いすがり、「橋柱」とひと言、捨ててしまわれるおつもりかと詰め寄ります、その一部始終をお召し替えを終えられお上が襖の隙間からご覧遊ばされておられました。まったく似つかわしくない二人ではないかといたく噴飯ものに思われて、「浮気心が足りていないといつも周りが気を揉んでいたが、なぁにしっかりやることはやっていたのだな。」とにんまりされましたので、典侍はいささか気まずくなりましたが、憎からぬ人のため敢えて濡れ衣を着る喩えもあるといいますから、強いて言い訳いがましいことも申し上げません。
周りもちょっとありえないと受け取って呆れておりますが、頭中将がふと小耳に挟み、この方がまた抜け目のない性分ですから、よもやあの女とは夢想だにしなかったと妙に感心して、典侍の尽きせぬ色恋への執念を一度試してみたくなり、ついに逢うことになったのでした。この君も並の人物ではございません、典侍は薄情なあのお方の身代わりと考えていたようでしたが、やはり所詮身代わりは身代わりに過ぎないですと。蓼食う虫も好きずきといったところでしょうか。
頭中将はいたって隠密に事を運んでおりますので、源氏の君は知る由もなく、それよりも典侍がお顔を見つける度毎にねちねちと恨みがましいことを申し上げますのが、相手の歳を考えたら気の毒でもありますから慰めてやろうと思われながら、今ひとつ気乗りしないまま面倒臭く感じれておりますうちにいつしか時が経っておりました、そんなある日のこと、夕立があり、止んだあと急に涼しくなった宵に乗じて温明殿周辺をぶらぶらと歩かれておりますと、件の典侍が琵琶を実に妙妙たる音色で奏でておりました。お上の前で男性陣に混じって弾いてもまったく引けを取らないほどの手練れです、恨みつらみを抱えているからでしょうか、いわく云いがたい情緒を漂わせております。「瓜作りになってしまおうか」と催馬楽の一節を、声音はまことに美しく歌うのですが、どこかしら年齢と合っていないようで腑に落ちません。白楽天の詩に出てくる鄂州の女も、さぞかしこんな美声だったのだろうなと、つい聴き入ってしまわれます。やがて弾き終えましたが、深い憂慮がひしひしと伝わってきます。源氏の君がそっと『東屋』を口ずさまれ物に凭れておりますと、「押し開いておいでなさい」と唱和いたしますのも、やはりその辺の女とは一線を画しております。
立ち寄りがてら濡れていってくれる人がいるわけでもない東屋なのに、雨は容赦なく降り注いでおります
と悲嘆に暮れておりますが、こんな想いを私一人が背負うのは理不尽だとげんなりされ、どうしてこうも執念深いのかと呆れられております。
人妻はどうも手に負えません、ですから東屋の軒先で雨宿りしてあまり深入りしないようにしましょう
そう仰って立ち去りたいのですが、それはそれであまりにあっさりし過ぎているような気もして、何事も相手次第ですから、そこそこに軽い冗談なども云い交わしたりなどされながら、これはこれで一興かもしれんと想われたりもなさるのでした。