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【徒然草 現代語訳】第百七十三段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

小野小町がこと、きはめてさだかならず。衰へたるさまは、玉造といふ文に見えたり。この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録にいれり。大師は承和のはじめにかくれ給へり。小町がさかりなること、その後のことにや、なほおぼつかなし。

翻訳

小野小町については、まるきり謎に包まれている。身をやつしてからのことは、「玉造」という書物に書かれている。この書物、一説によれば三好清行が書いたということだが、弘法大師の著作目録にも見える。大師は承和の初頭にお隠れになられた。小野小町の全盛期は、確かその後では?依然として不明である。

註釈

○小野小町
825年前後の生まれ(異説あり)。六歌仙の一人。

○玉造
正式名「玉造小町壮衰書」。

○清行
三善清行(みよしのきよゆき。または、きよつら)。平安前期の漢学者にして公卿。847年生まれ918年没。

○高野大師
弘法大師空海。835年入寂。


童女の小野小町が入寂間近の空海をたぶらかした可能性は……、あったら愉快ですね。ないか。
夢枕獏さんが書いてくださらないかなー。

追記

クレオパトラ、楊貴妃と並んで小野小町が世界三大美人の一人に数えられるようになったのは、明治時代の中頃からだそうですね。

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