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【徒然草 現代語訳】第百五十段

神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。

原文

能をつかむとする人、よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひえてさし出でたらむこそ、いと心にくからめと常にいふめれど、かくいふ人、一芸もならひうることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人にゆるされて、雙なき名を得ることなり。

天下の物の上手といへども、始めは不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されどもその人、道のおきて正しく、これを重くして放埓せざれば、世の博士にて、萬人の師となること、諸道かはるべからず。

翻訳

芸を習得し身につけようと志す人で、まだたいしたことないうちは、不用意に人に知られないように、こっそり充分に研鑽を積んでからお披露目すれば、他人の覚えもさぞめでたかろうなどと云う人がいるが、そういうことを口にする輩に限って、芸を我が物にしたためしはない。てんで話にならないうちから、達者な者たちに混じり、くさされ嘲笑われながらも気後れすることなしに、面の皮厚くやり過ごして稽古に励む者は、天賦の才こそなくとも、立ち止まらず、よそ見もせずにひたすら稽古に明け暮れる年月を送れば、なまじな才能のある怠け者より、とどのつまりには名人と呼ばれる高みに昇り、人徳備わって円熟し、世間からも認められ、並ぶ者とてないと称賛を受けることになるものだ。

天下に誉れ高い芸達者も、駆け出しの頃は下手っぴいと謗られたり、目に余る欠点があったりする。しかしながらその人が芸の道に忠実で、これを重んじおろそかにすることなく精進した結果、大家となって万人の師と仰がれるのは、あらゆる芸道に共通して云えることである。

註釈



この段もおそらく触れたことのある人は多いでしょう。
芸については、観る者の立場からは「徒然草」のこの段、演じる者の立場からは「風姿花伝」、そのふたつで云い尽くされていると思います。他の芸能芸道論はすべて各論です。

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