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【徒然草 現代語訳】第百三十段
神奈川県大磯の仏像専門店、仏光です。思い立ってはじめた徒然草の現代語訳、週一度程度で更新予定です。全244段の長旅となりますが、お好きなところからお楽しみいただければ幸いです。
原文
物にあらそはず、己を枉げて人に従ひ、我が身を後にして人を先にするにはしかず。
萬の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらむためなり。おのれが藝の勝りたることを喜ぶ。されば負けて興なく覚ゆべきこと、また知られたり。我負けて、人をよろこばしめむと思はば、更に遊の興なかるべし。人に本意なく思はせてわが心をなぐさまむこと、徳にそむけり。むつまじき中にたはぶるるも、人をはかりあざむきて、おのれが智のまさりたることを興とす。これ亦禮にあらず。されば、始め興宴よりおこりて、ながき恨みを結ぶたぐひ多し。これみな、あらそひをこのむ失なり。
人に勝らむことを思はば、ただ學問して、その智を人にまさらむと思ふべし。道を學ぶとならば、善に伐らず、ともがらあらそふべからずといふことを知るべき故なり。大きなる職をも辞し、利をもすつるは、ただ學問の力なり。
翻訳
決して人と争わず、曲げるべきところは曲げて忍従し、自分は後ろに下がって人を前に立たせることが肝要だ。
いかなる遊戯であれ、勝負好きは自分が勝って悦に入るためにやる。自分の技量が相手に優っていることを悦ぶのだ。当然負ければくさることも重々承知だ。だからと云って自分が負けてまで相手に花を持たせるなんてことをしていたら、勝負の醍醐味は失われてしまうだろう。人を悔しがらせ残念がらせて気をよくしようとするなど、不徳というものだ。たとえ親しい間柄での遊びであっても、所詮は人を謀り騙して、自分の智力が勝っていることにほくそ笑む。これまた礼を失している。世間では遊戯が発端となり、積年の恨みを抱えている者は多い。これらはすべて争い事を好む悪弊である。
それほどまでに人より優りたいのなら、学問にひたすら精進し、智の分野で人の上に立とうと思った方がいい。勝負事と違って、学問を修めれば、夜郎自大になることもなく、同朋といたずらに争ってはならないことを知ることにもなるからだ。地位や名誉には目もくれず、利にも背を向けられるのは、学問の力をおいて他にない。
註釈
○枉げて
読みは「まげて」。
○本意
読みは「ほい」。
○伐らず
読みは「ほこらず」。
私を半世紀にわたって戒め続けてくれている段です。
追記
美味い不味いと勝ち負けに拘泥する奴とは付き合いません。