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2割の人は救えないー自分も人も大切にするために心に留めていることー


先日こんな記事を書いた。

改めてこの記事を書いたのは
自分自身が、現状に葛藤しつつも、民主的でインクルーシブな場にチャレンジする意義を感じ取りたくて書いたんだなぁと思った。

ただ、これを書きながらこれには書かなかったけど、もう一つめちゃくちゃ重要なことがあると思って追記したいなぁと思い、続けて書くことにしました。


2割の人は救えない

子どもたちに関わりながら肝に銘じてること。
この言葉は精神科医で、子育てハッピーアドバイスを広められた明橋大ニさんが言われていた言葉。

「明橋さんのような方でもそう思っているんだ」と人の心に触れるような仕事をしている身としては、少し肩が軽くなるような感じがした。

ここ最近、自分の中でこの言葉の感覚が少し深まったのでここに書いておきたいと思う。

僕の中でこの言葉の意味は
「2割の人はあきらめましょう」とか
「2割の人は切り捨ててOK」という意味ではない。

人は全能ではないし、どんなに頑張っても思い通りにならないことはあると思っていて、
「その時期に、その場では、その人のニーズが救われなかった」ということで、その数が2割くらいはあるものなのだという意味だと理解している。

高校生のとき自分はこの2割の人だった

思えば、自分は高校生のときにこの救われない2割の人だった。

高校三年生の後期の半年間自分は不登校になった。

そのきっかけは、複合的ではあるけど、一番大きかったのが周りからのいじりだった。
挨拶代わりに「カス」と言われていた。球技大会で野球をしたときに、自分が打つ順番になったとき「お前には期待してないから」と言われたのをよく覚えている。

「お前って何ができるん?」と言われたのも覚えている。テニス部の部長はしていたが、運動は苦手。勉強も対してできるわけではない。自分のことが面白いとも思えなかった自分は、何も答えられなかった。強いて言うなら椎名林檎が好きで曲名をたくさん知ってるくらいならあるなと思ったけど、それにも何の価値もないよなと思った。

当時の自分はNOが言えなくて、自分の心が傷ついていても、その場が和やかになるのならと笑って誤魔化していた。

その当時、「胸が痛い」という言葉って本当に胸が痛いんだなと実感したのを覚えている。学校に行っている間はがんばって表情をつくろったりするが家に帰ってきたりすると身体から魂が抜けていって、胸が痛くなる。

これだけしんどかったけど、僕は誰にも相談しなかった。

不登校になろうと決めたとき、母には「学校より塾で勉強した方が効率が良いから、学校に行くのはやめようと思う。」と話した。

不登校になってからしばらくして担任の先生に呼ばれて職員室に行ったときにはいつものように笑顔で「大丈夫です。」と答えた。先生も「大丈夫そうで良かった。」と答えた。

一度だけ本音を話したことがある。
それは心配してメールしてきてくれた同じクラスの人に向けてだった。
その当時の言葉ははっきりとは覚えてないけど
「最近学校来てないけどどうしたん?」みたいな内容のメールに対して
「お前らのせいだよ。」と怒りをぶつけたメールを返したことを覚えている。

その当時は、クラスの男子の多くが嫌なことを言ってくる人だと思っていたし、学校の先生は自分のことなんか全く気づかない人だと思っていた。
両親にさえ自分を甘やかしたからこんな自分になってしまったんだと妬むような気持ちになっていた。

ネガティブにみえる経験は、自分の底(本質)に足が触れる経験

上の不登校のエピソードをみると、ネガティブな経験にみえる。当時の自分からすると本当にネガティブでしかなかったから、大学生の間はこのことを隠し続けた。

しかし、今ではこの経験があったからこそ、今の自分があると確信を持って思うようになった。

そう思い始めたのは、就活のときだった。
「何を大切に仕事をしよう?」と考えたとき、不登校の経験が自分の中で最も大きくあることが分かった。

その時の自分のような人を助ける仕事がしたいと思い、チームビルディングのファシリテーターをしたし、勉強のための学校ではなく、自分も人も大切にすることをベースにした学校で働くことにした。

僕はこの経験から、「救われなかったこと」が必ずしも悪いことではないんじゃないかと今では思っている。
僕はこの経験があったから、自分の底(本質)に触れることができたし、その底から歩みを始めることを自分自身で決めることができた。

周りの人の手を借りながら、自分自身の力で自分を救うことができる

だから、僕はその時期にその場所で救われなかった人がいたとしても、きっと大丈夫だと思っている。

その人にとって必要なタイミングで、きっとその経験が自分に何かを語りかけてくれる。苦しみや悲しみ、怒りはあるけれど、尊い経験を得たんだという風に思うようにしている。

だから、そんな救われない経験をした人が周りにいたとき、僕は救えなかった周りの人や自分を責めるのではなく、ただその経験に耳を傾けることを大事にしたい。(耳が痛くならない範囲で)

少なくとも自分は、そのときに周りの人が責め合うのを望んではいなかったと思う。両親はお互いに穏やかに日常を過ごしていて、それは自分に安心感をつくってくれた。

思い通りにならないとき、ままならない経験をしたとき、こういう風に考えると、僕はその場の人たちと共にやっていける感じがする。

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