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「そのうち水色になるよ」

「いつものやつとどっちが美味しい?」

「こっち(ゴディバのドーナツ)かなぁ やわらかいよ」

「そっか、美味しくてよかったねぇ。このポンデリングっていうのはもちもちしてるんだね」

「練り方が違うんだろうなぁ 水分と小麦の配分だとかさ」

お隣から聞こえてきた会話。
小さなテーブルで向き合ってドーナツとコーヒーを楽しんでいる(おそらく)夫婦の会話。
ご年配のふたり、ドーナツについて会話のキャッチボールが続く。
なんて穏やかでしあわせな空間だろう。ほっこり気分を勝手にわけてもらった。

そんなことを考えながら、美味しそうにドーナツを頬張っている私の目の前の人に意識を戻す。
「美味しくてよかったねぇ」
私もそう(お隣さんの会話の一部を真似て)心の中でつぶやきながら、その幸せそうな顔を見ていると、
「一口いるでしょ?ほらっ!」
と自分の好物の半分をお皿に置いて、こっちに差し出してくれた。
「うれしい!ありがとう!」いつもの流れで遠慮なくそれを頬張る私。

「一口」と言いながら、絶対にいつも一口以上くれるところも良いなぁと思う。だって本当に一口分だったらなんだか悲しいから…(笑)

その人は、美味しいものがあれば分けてとっておいてくれる優しさを持っている。
食べることが大好きなら尚更のこと、好物は自分ひとりで全部味わい尽くしたいってのが本望でしょう。

だからいつもの「一口あげるよ」っていう行為は愛を形にしたうちのひとつだと思っている。

「ちょっと焦げちゃったよ〜こっちが⚪︎⚪︎(私)ね」
少年みたいな爽やかな顔で笑いながら綺麗に焼けた方の焼き魚を差し出してくれるのも、そう。

ドーナツ屋さんでも、家の台所でも、愛は生まれるし、見つかる。
愛と書くと大袈裟で小っ恥ずかしい感じがするけれど、私たちにとっては立派な優しい愛だから。

落ち込んだことがあって「ブルーな気分だ」と連絡をしたとき、
その人は「そのうち水色になるよ!」と返信してきた。

最初その文を見た時は、「どういうことよ〜〜。こちとら落ち込んでいると言っているのに・・・」と、正直に言うとその場では元気が出なかった。(笑)
「ヨシヨシ、頑張ったね」とか「そうか、大変だったね」だとか、いかにも「励ましているよ」っていう返信を無意識に期待してしまっていたからかも。

だけど、不思議なことにすこし時間が経ってからもう一度その文を思い出した時、私の気持ちは水色になっているからびっくり。(こいつも何言ってんだ、と思わないでください笑)

ブルーもブルー、ぺしゃんこに凹んでいたはずの心は、「そのうち水色になるよ!」というその人の言葉通り、いつの間にか本当に水色になっているではないか。
穏やかな色とまあるい形へ変化していき、夜寝る頃には通常の色(穏やかな心)に戻っていた。

こうして今回もまた救われてしまった。

夫婦といえども、他人なのだから完全一致なんて不可能なわけで。
そんな中でも寄り添ってもらったり、寄り添ったり、
愛を渡したり、受け取ったり、
そうやって自分たちのちょうどいいをゆらゆらと見つけようとしている、この過程を味わいながらこれから先も共に過ごしていきたい。

その人の存在に圧倒的に救われている私。
その人がブルーなとき、水色になるよう不器用でも躊躇せずまっすぐ愛を伝えたい。

その人は今日も私の隣で何気ないことで笑ってくれて、何気ない瞬間に愛をくれる。

夫よ、いつもありがとう。
いつの日か、これを読んでもらおう。


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