狭いから戦う 広ければ逃げる説
今日は昼過ぎから門下の方が来られたので、まず初めに試し斬りの稽古を少しだけしました。「青竹」を1本斬って貰いました。
力ではなく技で斬った綺麗な袈裟斬りでしたので「それ以上斬る意味」が無いので、試し斬りの稽古を早々に切り上げました。
その次に手裏剣術の「両眼打ち」3間「5,4m」から反転法で打つ技をを稽古しました。
これが難しい。
試し斬りの抜打ちで、刀や腕を左に流さず体捌きだけで横一文字に両断する技「かなり難しい」よりも、2本の棒手裏剣を「反転法」で3間「5,4m」から「標的に平行に刺す」技の方がずっと難しいです。
まず私が4本の手裏剣をそれぞれ2本ずつ打って見せてからやって貰いました。
この方は「手裏剣術も」上手で「技」の飲み込みが早く才能のある方なのですが、それでも難しいと言っていました。
その後1時間余り手裏剣の稽古をしてから今創っている最中の「杖術」の型を一緒に稽古して本日の稽古を終えました。
私は話すのが好きで雑談をよくするのですが、今日の稽古のおりに「狭いから戦う」「広ければ逃げる」という話になりました。
というのも、有名な新撰組が京都で治安維持のため活動していた頃は「京都は路地が多くて狭い」から浪士も「逃げる」事が困難なため仕方なく刀を抜くしかなかったんだろうと思ったからです。
今の時代でも例えば「電車内」なんかは「最悪」な場所だと思います。
狭いうえに逃げれませんから。
仮に電車内で刃物などを持った人間に襲われでもしたら
まず、「逃げれません」
こうなると、殺されないために「戦う」しか選択肢がないです。
「説得」するというのはまず無理でしょう。
「説得」できる人間は「刃物」で人を「襲い」ません。
「脅す」だけです。
もし狭い電車内ではなく、広い駅のホームで襲われたら?
逃げます。
知らない人が襲われてたら?
ほとんどの人は逃げます。
家族や友人が襲われたら?
これは戦うしかないでしょう。
電車内みたいな狭い所では逃げる事が「物理的」に困難なため「戦う」という行為になりやすいです。
駅のホームみたいなそれなりに広い所では逃げる事は「物理的」には容易です。
君子危うきに近寄らず
これは「身を守る」上での鉄則みたいな言葉ですが。
しかし、電車や飛行機にバスの中などを利用しないというのは「かなり特殊」な生き方をされている方ぐらいでしょう。
多くの方は電車やバスといった交通機関を利用して生きています。
そこで襲われたら?
逃げれません。
説得できません。
どうしますか?
戦いましょう。
戦わないと「殺されて」しまいます。
「法律」も「警察」も
「殺された」後のお話です。
「しね」
「きえて」
言葉はいい人を殺すけど。
「やめて」
「たすけて」
言葉はわるい人は殺せない。
おわりに
武術も殺されないために殺すという矛盾からできたと私は思っています。
だから、殺さずに相手を無力化する事が理想とされています。
ただ、そこには「強さ」という目に見えない「不確か」なものが大きく関わっています。
もちろん、殺さないし殺されないというのが一番です。
生き物が「強さ」に惹かれるのは「奪われない」ための本能かもしれませんね。