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残ったもの

私は役割に恵まれ、下手(したて)をずっと取らせてもらい、
それこそが既にそのものなのだと振り返ってみて感じました。

上手(うわて)の方がどんどん良くなってきて、
今まで通りの下手(したて)ではもう通用しない。

だから色々と工夫しました。

狙いを絞り高めて・・・爆発する。
これはもう随分前に通用しなくなりました。

そしてそれは随分と自分勝手な下手(したて)でした。

上手(うわて)を取っているつもりで下手(したて)を取る。
これもどうも中途半端で、どこか取り逃しがありました。

色々と試行錯誤しました。
でも、もう今はそれすらありません。

自分的な試行錯誤なんて悠長な事していては何も出来ません。

そして、今やっているのは一分の隙も作らず、
ただ間断なく上手(うわて)と共にあり続ける。

やっていると言いながらも、やっている認識もありません。
自分の状態とか意識とかそんなものを挟む暇はありません。

自分なんかそっちのけで、ただ相手のみでした。
完全なる部分でしかない下手(したて)、ただそれだけでした。

それは結果的に上手(うわて)と同じようでした。

何がそうさせたのか、結果だけを見れば下手(したて)を
取り続けさせてもらえたのがそうだったようにも思います。

けれど実はそうではなく、役割の中で試行錯誤しまくった。

その結果、なぜか自分的工夫を放棄することになり、
残ったものは相手、全体、仕事だけだった。

そしてそれをとにかく使って実験させ続けて貰えたこと。

それに尽きると感じます。

2016/5/23 植村 健司