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【連載】残された人生は大学卒業まで!? #190 私のリアル、あなたのリアル

 あなたにとってのリアルとは?

 最近この問いについて考えるきっかけがありました。

 まず、自分はどういうもののことをリアルと考えているのかはっきりさせなくてはいけませんでした。

 あるがままに描かれた姿、あるがままに表現された形、より人間の視覚で捉えたものと似ているもの、感触や大きさが実物と相違ないもの…

 色々ありますが、ふと気づきました。

「勝手に正解があるものだと思って、それに近いものを選んでいるな」

と。

 本当は自分にしか感じられないリアルさや、心の奥底から込み上げてくる自分が大事にしたいものがあるはずなのに、リアルとはこうあるべきリアルとはこうあるべきみたいなものに勝手に近づけるように考えていました。


 ピントっていうものがあります。

 カメラはピントが合っていないとぶれるし、目のピントが合っていないと目が悪くなって、合わせるために眼鏡をかけたりします。

 それはフォーカスを合わせるものによって違うし、人によって違います。

 それと同じように人それぞれものの見方、考え方にもピントがあると思います。

 そのピントはカメラや目と違って、正しいピントというものがないと思います。

 自分の考え方にばっちりハマるピントは、決して世間から見たら正解じゃないかもしれないけれど、れっきとした自分の中のはっきりとした正解のピントなのです。

 その自分の持っているピントを投げ捨ててまで、世間のあるべき、周りから見て正しいと思われるピントに合わせるべきではないのです。

 これは倫理観とかそういうものを完全に放棄しろとかそういうものではなくて、自分の創造性とかイマジネーションとかそういう部分です。


 きっと世の中のピントはつまらない。

 人間の視覚なんて所詮一面的で、もっといろんな面がああるのに見えている部分だけを必死に整えようとする。

 それをするなら、きっと自分のピントを大事にして、考え方を再構築する方が楽しい。


 ただその考えを押し付けてもいけない。

 自分のピントが正しいと人に押し付けることは、自分のメガネでよく見えるから君も見えるでしょうと押し付けているようなものだ。

 あくまで自分の中で大事にしたいということだ。

 あなたのピントはなんだろう。

 あなたにとってのリアルさはなんだろう。


 私にとってのリアルさは、好きな人といて、好きなものをしながら、好きな時間に、湧き上がってくる衝動をそのまま形にするということだ。

 私にとってのリアルさは梯子を見つけた蛙だ。井の中の蛙で楽しむのもいいが、梯子を見つけると、さらに大きな井戸につながる。その梯子を見つけることを妥協しないということだ。

 私のリアルさはいろんな目線で見つめることだ。


 BU(◎)DOH

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