しんどい人
コロナ禍で感じた違和感。
この人が、あの人がこんな事を言うとは?こんな事が嫌で、こんな事を大事にしてきたんだ、と知る。
共感を覚えるものもあれば、違和感を覚えるものもある。
どちらかというと、違和感を覚えるものにこそ感受性が強くなってしまう。
考えてみると、「この人はしんどいな」と感じることがあった。
極端なエコ主義、環境主義、平和主義、正義にこだわる人は、正直言ってしんどい。
何か事件が起こるたびにそういった人は自分の立場を決めて発言し、誰かを上から目線で非難したがる。
同じように、実は、自然採食主義の人にもそのような傾向が見受けられる。
無農薬こそ正しい食べ物だという信念は、あまりに強すぎると宗教的な要素が強くなる。
無農薬ではない食品を食べる人を軽蔑したり、無農薬ではない植物を育てる農家を軽蔑することにもつながりかねない。無農薬ではない科学的な食べ物を食すとまるで自分の体が、自分の子供の体が汚染されてしまう恐怖。
この恐怖、そして、人より良いものを摂取しているという満足は、そもそも果たして、「実在」するものなんだろうか?
極端な「主義」に走る人は物事を白黒で分けることに拘るし、そのことに快感を覚える。
エコだの、ヘルシーだの、聞こえはソフトだが実は結構怪しいものがたくさんあるのではないか?と私は警戒する。
極端に食材にこだわる人と食事するのは、しんどい。
そういうった人は、他人の生活すべてに白黒、つまり善悪の印をつけたがる。
正しい食材で正しい調理方法でつくられた料理を食べないといけないという義務感を人に押し付ける。
また、そういった人は人のちょっとしたズルを許せない。
指摘しないと気が済まない。それが多くの人を怯えさせているかは、関係なく。
[いい加減な人]を、いちいち攻撃し続ける人がいる。
きっとそんな人はそうすることで守っているのだろう。
自分自身を。