noteっていうサービス、いいですよね

最近、本をあまり読みません。
本の虫だった大学時代、むさぼるように読んでいました。
社会人時代にも(あ、今もそうでした笑)、意識高い系の(?)本をよく読んでいました。
トップポイントという、忙しいビジネスマン向けに、最新ビジネス書や古典や心理学などのいわゆるベストセラーを要約する雑誌を契約しました。

情報こそ、自分をアップデートしていくものだと思っていたんです。

ここ二週間ほど、真面目に本を読んでいません。メルカリで売れてしまったら発送前にさっと読むくらいです。

そういえば、と思ったのですが、他の方のnoteは結構好きで読んでいます。いや、読んでしまうんです。

この変化は、どういうことなんでしょうか?

一般的に、出版される本というものは、著者がいて、編集者がいて、印刷業者がいて、本屋があります。

著者から、様々な媒体を通じて、綺麗に整えられ、物質として並べられます。

その完成度は非常に高く、考え込まれた魅力的なキャッチコピーが添えられています。

それまでは、そうした整えられた情報を手に入れて、喜んでいました。

今考えてみると、その内容は、本当に読むべき箇所は全体の2割くらいで、その多くは「初めに」と「目次」「最終章」「おわりに」に凝縮されていると思います。

本という形にするには、その2割を伝えるために残りの8割を付け足す必要があるんじゃないか?(異論あるかと思います。玉石混淆なのは承知しています)

1400円出して、それだけの価値があるかと言うと、それはないな、と思うから、最近本を買わなくなったんだと。

その代わり、皆さんのnoteを読んでいると、本当に面白いです。

僕は、特に裸の文章が好きです。何か強い圧がある訳でもなく、懲りにこったキャッチコピーのような目次がある訳でもない、素の文章。

ああ、僕と同じような有名でもベストセラー作家でもない方が、こんなことを考えているんだな。

こんな目線なんだな。

こんな生活を送っていて、こんな感覚になっていて、それを届けてくれる。

満員電車の中で隣にいる人が、こんな事考えているんだ、という新しい形の読書。

本を読んでいない、と冒頭に書きましたが、活字という意味では変わっていないのかもしれません。

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もうちょっと深く発達障害というものを知りたいと思い、メルカリで検索していました。

10冊ほど目を通したい本がありました。

そんな中、こんなタイトルの本が。

「発達障害と言いたがる人たち」香山リカ

もう、タイトルだけで、「言葉が持つ刃」を知らずか、またはわざとなのか、わざとなのでしょう。

不快です。こんなタイトルの本を出すことでお金を稼ぐなら、その言葉の刃で傷ついた人々が返してきた刃で刺されてしまえばいい、とさえ思いました。
たとえ中身が良書/良文だとしてもです。

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完全に脱線してしまいました。

ちなみに、今の私にとっては、自分の思考を文字にして、見返してみる。
それも、最大の読書です。

、、、noteっていうサービス、いいですよね笑

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