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惟神の医療4~自然治癒力を思い出して健康になろう~現代医療のおかれた状況


 
 病気で苦しんでいる患者さんは増え続け、多くの医療従事者が文字通り心血を注いでいるのに、病気が治らず医療費が増え続ける状況になっているのはどこに問題があるのでしょうか。
 
私は治療に自然治癒力を生かせていないことが原因の一つではないと考えています。人間の身体は未だに分からないことだらけで、それでも何事もなかったかのようにいつもと変わらず生命が続いています。いったいどんな力が働いていて生命が維持されているのか。幼少の頃からその「何らかの力」に強く惹かれ医師を志し、理想的な治療方法の鍵は自然治癒力にあるはずだと考えて求めてきました。
 
大学で医学を学び始め生命の神秘に触れられるかと期待していましたが、残念ながら自然の神秘や自然がもっている調和する力については学ぶことはできず病気の診断や治療に明け暮れていました。
 
医療は病気で苦しんでいる人を救うのが役割で患者さんの苦痛を取り除くことが最優先となりますから、病気予防や体質改善まで手が回っていないのが実情です。そのためか自分が求めていた自然治癒力を生かした治療方法は一向に見つかりませんでした。
 
研修医の頃は如何なる方法であれ目の前の患者さんを治すに必死で、最初は先輩医師から教わり教科書を見ながら西洋医学的な治療方法を駆使して病気を治していました。何度も厳しく指導をして頂いたお陰で自分で病気の診断や治療ができるようになり気持ちに余裕が出てくると、万能に思えた西洋医学をもってしても改善できない症状や病気があることに気付き改めて自然治癒力が気になりだしました。
 
「西洋医学に自然治癒力をあげる治療方法が加われば理想的な医療になるのではないか。」いったん、考えだすと患者さんに触れる度にその事ばかりがきになり早く見つけなければと漠然とした焦りを覚えていました。患者さんが健康になる鍵はどこにあるのか、身近な医療者に聞いても回答が得られず、西洋医学に対する限界を感じ始め、暇を見つけては人間の生命について深い洞察を持っている人達に会いに行くようになりました。
 
模索する中で、先輩医師からはとにかく患者さんの様子を何度も見に行くように指導されますが、内心では、検査で状況が分かっているし、これ以上やれる事がないから見に行く必要がどこにあるのかと思ったりもしました。後になって気づきましたが実は直接会いに行く時にこそ自然治癒力に触れる入り口であることを知りました。一日に何度も行くようになると、病状は刻々と変化していることに気付くようになります。血液検査や血圧は全く変わらなくても、不思議と顔色や目つき、表情などから病状の変化が分かるようになりました。
 
こうして徐々に検査には出ない生命の本質に一歩ずつ近づき、「病気は生命を維持するメカニズムが正しく機能していないからではないか。それが自然治癒力の正体ではないか。」と思うようになり、病気の患者さんに会う度に、「何が狂って病気になるのか、どうしたらそれを正常に戻せるのか、きっと何かがあるはず」と考えるようになりました。
 
研修医時代は病棟勤務の他に内科医として外来診療も担当させて貰いました。糖尿病や高血圧などいわゆる生活習慣病などが中心の内科診療で、多くの患者さんは病気を治すために真面目に薬を飲み治療に前向きですが、中には薬も飲まず治療意欲がなく見える患者さんに出会いました。血圧が高くて薬を飲んでいるのに、飲酒や喫煙を一向に止めようとしない。体調が悪いのに夜更かしを続ける。薬をたまに忘れるだけであればまだ笑って済ませられますが、時に救急外来に手遅れの状態で運ばれてくる事もあるのです。多くの医師はこのままいくと大変なことになると直感的に気づいており、分かるからこそ患者さんに対して言葉がきつくなったり、不安から自分の治療方法を患者さんに押し付けてしまう医師もいます。
 
こうやって書くとどこか滑稽にも思えますが、当の患者さんは病気の悪化が不安で悩んでいて「怖いと思っている」のに止められない。この謎を解明しない限り病気が治る医療はできない。生命の謎に加え患者さんの治療意欲に関しても謎となり悩みが増えるばかりでした。診療がない日にはどこかに回答がないかと近くの海を見ながらいつも考えていました。「生命の神秘はどこに?どうして人は治ろうと思えないのか?」いつも同じことを考え物思いに耽り本を読み漁りました。本だけでは足らず、気になったら様々な業界のセミナーにも参加し人に会いに行きました。生命の神秘や自然治癒力に関して悩みを恩師に相談しているときにアーユルヴェーダの話を聞き、かつては強くは惹かれませんでしたが、急に気になるようになりました。


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