【短編小説】もう一度尖った牙のあの頃に
「丸くなってる…」
鏡で改めて自分の牙を確認し、疑いは確信に変わった。
あんなに尖って鋭かったおれの牙が、丸みを帯びていた。
ここ最近、どうりでうまく人間の血が吸えないと思っていた。
首に牙を刺しても、なんか甘噛みみたくなってしまって、うまく吸えない。
牙はドラキュラにとって命だ。
尖った牙がない限り、我々は人間の血を吸うこともままならない。腹を満たすことができない。
原因はわかっていた。
最近の自分の行動を省みるに、牙が丸くなる要因は確かにあった。
元々おれは、ドラキュラ界期待の新星としてデビューをした。
人一倍尖ったおれの牙は、誰よりも血を吸うことに優れ、そして誰よりも輝いていた。
同期のドラキュラ達もおれの牙には羨望の眼差しを送り続けていたようだ。
ただ、おれはデビュー当初、同期のドラキュラ達とは一切話していなかった。
おれは、同期と馴れ合うようなドラキュラ達を軽蔑していた。
また、まだ駆け出しのドラキュラのくせに、飲み会や女遊びに明け暮れている奴らや、ドラキュラ歴長いというだけで先輩風吹かせている中堅ドラキュラ達とは一切仲良くしなかった。
知り合いの社長からのタクシー代で生活しているような無名ドラキュラにはなりたくないと思いながら、おれは日夜、ただ自分の牙を尖らせることだけを考えていた。
しかし、年数が経ち、ドラキュラ歴を重ねるに連れて、おれも変わっていってしまった。
ドラキュラを続ける為には、先輩ドラキュラとの付き合いが大事だと考えるようになり、あれ程嫌いであった飲み会にも積極的に参加するようになっていた。
そして、おれの牙なら、いつでも人間の血を吸うことができると思うようになり、自分の牙を尖らすことを一切しなくなっていた。
挙げ句の果てに、昨年結婚し、子供を授かり、家庭を持つ幸せを知ってしまった。
おれの牙は、どんどん丸くなっていた。
若い時は、切れ味抜群の牙を持ちながら、年齢を重ねるに連れてどんどん牙が丸くなっていってしまう大御所ドラキュラ達を、今まで何人も見てきた。
そうはなりたくないと思っていたが、今のおれの牙は、なりたくなかったそれに近づきつつある。
だからおれは決めたんだ。
単独ライブをやろうと。
前説、幕間映像一切無し。
60分間ただおれが人間の血を吸い続けるだけというストロングスタイルの単独ライブを。
もう一度、あの頃の尖った牙を取り戻す為に、おれはこの単独ライブを必ず成功させてやると、強く心に誓った。
単独ライブは大成功に終わった。
キャパ300の会場で、全盛期のおれから考えたら物足りない収容人数ではあるものの、おれとしては満足のいくライブになった。
ライブ終了後、楽屋の鏡で自分の牙を見てみる。
尖りが復活していた。
これだ。やはりドラキュラはこうでなくてはいけない。
これで、デビュー当初のあの頃のように、豪快に人間の血を吸うことができる。
そう思っていた矢先、知り合いの社長が楽屋に挨拶に来てくれた。
社長は「ノルマ厳しいだろ」と、今回のライブのチケットを10枚も買ってくれた。
深々とお礼をお伝えしていたところ、その夜は、社長が飲みに連れて行ってくれた。
帰りしな、タクシー代として1万円を受け取り、その日は帰った。
翌朝おれは鏡を見ると、尖りのない丸い牙に戻っていた。