看護に対する姿勢を変えてみることにした
ここ一週間、体はめっちゃ元気で風邪症状も感染兆候も一切無いのに平熱が普段より高かった。いつも36.5度ぐらいなのに、ここ最近は37.0〜37.3℃ぐらいあった。身体も熱くて頭が重い。私はどんなに疲れていても熱は出さない。最後に熱を出したのはいつだったか。昨日から気づいたら平熱に戻っていた。
考えすぎて熱を出す?
笑われてしまうかもしれないけど知恵熱を出していたんじゃないかなあと。ここ最近派遣の単発バイトを始めたらいろいろと気づくこと考えることがたくさんあって。毎日違う現場で疲れていたのだと思うが。どうやったら看護や医療や介護に関わる人が安全に健康に働けるのかずっと考えていた。そういう思考がずっと同じところを回るときは私にとって良くない兆候で。派遣に行くこともすごく怖かったし毎日何故かわからない漠然とした不安があった。それでも仕事をキャンセルしたくなかったし出勤した。そしたら些細な他人の言動と行動に揺り動かされて、自分はまた深い穴に落ちていくところだった。
今でも他人に言われた一言に影響されている。何度も思い出す。こんなに些細なことに影響される自分はもうどこでも働けないのではないかと不安になる。でもこうして言葉にすることで少しずつわかってきた。
看護から少し離れること
私は2年前にうつになり、看護から離れることになりとても悔しかった。休職している間も自分はどうしたら良かったのか、これからどうすればいいのか、看護をするということはどういうことなのかずっと考えてきた。看護をすることは苦しいこと悲しいこともたくさんあったけど、嬉しいこともたくさんあった。何よりいろんな人と関わって学べたこと知ったことは私の一部になった。だから苦しい思いをしながら看護する人たちと同じようにまたがんばりたかったし、もっと自分らしく生きてほしいという思いで看護に関わろうと思ってきた。自分自身、これからは今までのように無理をして看護すること働くことは難しい。それでも看護ができるように、働きやすいシステムを現場で学びながら考えていこうと思っていた。
9月に転職して急性期病院から介護施設で働き始めた。3週間でしんどくなって辞めた。看護することが怖くなった。私なりに一所懸命努力した。それでも現場のスタッフの努力と、利用者さんとご家族さんの求めるケアの形に齟齬があるように感じて辛かった。どれだけケアを提供する側が努力をしても、ケアを受ける側と、ケアの内容や境界を目に見える形で相談して設定しなければケアに限りがない。それに応えようと一所懸命努力する法人もスタッフも凄いと思った。でも一人がどれだけ努力しても何か悲しいことが起きてしまうのではないかと考えてしまう。それで看護することが怖くなった。
ひと月休職して派遣で単発看護師バイトを始めた。限界まで勤務日数を減らして、業務内容もできるだけ簡単なものにしようとした。でも、楽な仕事なんてないんだ。目の前の人の命に人生に触れるのだ。重く考えすぎかもしれないけど。そんな中で毎日知らない人と知らない場所で知らない流れで働くことはどうやっても疲れる。そして日々いろんな現場を見て、ケアの担い手を守るべきシステムについて考えるのだ。それで知恵熱を出していたのだと思う。
とうとうこれは深い穴にまた落ちそうだなと思った。そんなとき私はいつももやもやを言葉にしてきた。日記に書いたり人に話したり。今回は個人的な内容の別アカウントのnoteにひたすら思いを書いてみた。誰に対してでもなく、他でもなく自分のための文章を書いた。誰にでも見られていい場所で自分のために言葉を紡ぐという行為はとても幸せなことだと感じた。これこそ自分を大切にするという行動の一つだと思う。そしてnoteにありったけ思いを載せたら熱が下がっていた。それはある考えに行き着いたからだ。
看護することから離れてみる
仲間に言われたことがある。どうしてつらい思いをしたのに看護の現場に戻ろうとするのかと。私はどうして戻りたいのかよくわからなかった。看護が好きだとおもしろいと思ったのも事実。途中で離脱したことが悔しかったのも事実。私の大切な人たちがずっと最前線で頑張っているのを見て力になりたかったというのも事実。それらはどれも大切なことだ。でもそれは看護をしないといけない、という理由にはならない。
もう自分を許していいのだと思う。私は看護が好きな人に看護することを諦めてほしくなくて。だからもっと働きやすいシステムとか、癒やしのイベントとか作りたいと思っている。でも他ならぬ自分に看護することを諦めてほしくなかったんだと気づいた。今回じっくり自分に聞いてみてやっとわかった。私が看護することを休んでも離れても誰も責めない。看護が好きなことも無くならない。看護で学んだことも消えない。看護で繋がってきた人たちとの絆も無くならない。だからもう、看護することから離れることを許していいんだよ。
自分を許せる分だけ、自分に優しくなれた分だけ、世界は広く温かく感じられるようになると思う。看護について考えることは楽しいし好きだし活動ももちろん続ける。むしろ一歩離れてみることでより広い視野で柔らかい心で温かい空気で看護の可能性を考えられると思う。もっと看護が好きになるかもしれない。もし現場に戻れなくても看護から離れても誰も責めない。そしてきっとやりたくなる日がくる。もう充分がんばってきたから、大丈夫だよ。