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都市計画制度の概要(5)

はじめに

前回までは都市計画法における各種計画・事業の内容を見てきました。今回はその計画を策定する主体のお話です。初回のスライドで示したところで言うと、組織・住民参加の部分になります。眠い話も多分今回が最後です。何を書いても眠い可能性もありますが。

計画高権

日本の都市計画の歴史(と言いつつ殆ど東京の都市計画史になってしまった)でも見てきたとおり、都市計画というものは元来国家の権限によって定めるものという意識が根強くありました。
しかし、地域における多様性の萌芽やかつて経験したことのない都市問題を目の当たりにし、地域主権の名のもとに、都市計画においても幾分かの権限が地方に降りてきています。1999年の地方分権一括法では地方自治法における機関委任事務を廃止し、新たに自治事務法定受託事務に分けました。市町村マスタープランや都道府県マスタープランの都市計画区域、用途地域の指定が地方自治体で行えるようになったのもその現れです。
では、住民と自治体という関係ではどうでしょうか。都市計画と住民参加の制度の内容を見てみたいと思います。

公告、縦覧、意見書提出

都市計画法17条に規定されている「関係市町村の住民及び利害関係人」に認められた意見書提出の機会です。都市計画は都道府県、市町村の都市計画審議会に付議されて決定されるのですが、これに先立ち提出された意見書はその要旨が審議会に諮られます。

公聴会

法16条1項に規定されているもので、都市計画案を作成する際、必要に応じて都道府県、市町村は公聴会を開催することができます。

計画提案

都市計画法及び都市再生特別措置法に規定された、私人による計画提案の制度です。どちらも対象区域内の土地所有者の3分の2の同意を、地積の3分の2を占める所有者の同意を得る必要があります。この提案を受けた場合、都市計画決定権者(都道府県、市町村)は都市計画の決定または変更の必要性を判断し、必要があるとした場合は素案と共に都市計画案を上記審議会に提出します。逆に、不要とした場合はその理由を計画提案者に通知します。
都市再生特別措置法における計画提案制度は、都市計画法のそれと比べ、決定権者の判断期間を半年間と制限している点で、より私人による計画提案の実効力を強めていると言えます。

協定

建築基準法、景観法、都市緑地法などで規定する制度です。土地所有者同士で締結した協定を市町村長や景観行政団体が認可することで、この協定が公告されたのち、区域内の土地所有権の継承者にもその拘束力を及ぼすものです。

条例による参加手続

地区計画等の作成に際しては、対象区域内の土地所有者等の意見を求める必要があります。その方法は市町村が条例で定めることができます。多くは土地所有権者等の同意を求めている運用になっているようです(全員同意、9割同意等)。

実際のところ

地区計画の提案については、基本的にもとある自由を規制する方向に働くものであるため、わざわざ土地所有者がこれを提案するインセンティブに乏しいものとなっています。都市計画制度の概要(2)で説明したように、地区計画はドイツのBプランを参考にして作られたのですが、当のドイツは計画無くして開発無し、ですから、この計画を私人が提案することに規制を緩和あるいは変更する方向に働かせるためのインセンティブがあります。
親と子の関係でありながら、ドイツでは規制から自由へ、日本では自由から規制へ、とあべこべになってしまっているのですね。なので、地区計画の提案制度は当初思っていたほどは活発に利用されていないのが実態です。
しかし、日本においてもこの地区計画の提案制度は、結局規制強化のツールとして利用されています。具体的に言えば、デベロッパーの分譲地開発などです。真に住民参加かと言うと、住民は地区計画指定が終えた分譲地に入ってくるだけですから、ちょっと疑問符が付くところです。
欧米における都市法の構造では、基本的に都市計画は議会に付議されて決まるものなので、ここにおいても彼我の隔絶があります。

住民参加の機運って

もとが建築自由なわけですから、わざわざ規制を強化して自分の首を絞めに行くような奇特な人はなかなか出てこないものです。
だから、結局は根本的な問題に立ち返り、建築不自由の原則を日本でも確立して、その中での権利行使と権利に伴う義務、コモンズの意義、地域空間の公共性(大公共・小公共)の理解を深め、コツコツと実践していくことでしか、本当の意味での住民参加の街づくりというものは生まれないのではないかな、と思うのです。どちらが先かと言うと、当然理解あっての法改正なのですが、そう悠長なことを言っていられるわけでもないのが辛いところです。
むろん、すべてを住民が決めることを言うのではありません。利害調整、広域的な視点が必要ですから、最終的な決定権は自治体に帰属する点では今と相違ありません。その決定プロセスが開放的であるか、という問題です。

都市法の生い立ち

完全な私見ですが、日本における都市法と欧米におけるそれは、生い立ちやコンテクスト、配置がやはり違うのだろうなという気がします。
例えば、イギリスにおける近代都市法はどちらかと言えば環境法的な側面を持っていると思います。産業革命期の劣悪な住環境を目の当たりにして、自由な建築活動を許容すると人は文化的な生活を脅かされるということを体験的に理解し、基本原則としての建築不自由を確立していきました。もちろん、それ以前からの封建的な都市構造があったにせよ。
日本においてはそこまで都市問題というものが発生しないまま産業革命を体験し、都市法の深い問題意識は戦後復興のスプロール化とともに生まれました。生い立ちも原則も真逆であるがために、制度をいくら真似たところでうまくいくはずもないのかもしれません。あるいは、同時並行的に導入された財産権の強い保護と民主的な手続がかえって問題を先延ばしにしている気もします。
経験から学ばなければ変わらないとすれば過酷ですが、環境法における企業活動と公害の歴史のように、都市法分野でも都市の急激な縮小とインフラの荒廃と財政難を経験しなければ、法も生まれ変わらないのでしょうか。
ちょっとペシミスティックな話になってしまいましたが、この分野を扱う専門家の方は、企業活動に従順な方ほどは現状の延長線上に希望を見出していないことも確かです。ただ、それは企業活動だけを批判しているのではなく、批判の矛先は結局は住民、私たちに返ってくるわけです。

次回のネタ

小難しい話をするのも読むのもだいぶお疲れかと思います。ざーっくりとした制度説明はこれで一旦お休みです。次は何をネタにしようかな。

参考文献

 亘理格(2018)「都市計画の法主体に関する覚書き」『現代都市法の課題と展望 原田純孝先生古稀記念論集』日本評論社.
 吉田克己(2016)「人口減少社会と都市法の課題」『都市空間のガバナンスと法』信山社.
 安本典夫(2017)『都市法概説(第三版)』法律文化社.

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