釣った魚は何になる?
釣った魚に餌をやらない。
よく恋愛に例えられる言葉だ。
ここで言う魚は女性であること、または受け身役の人。
私はあんまりこの言葉は好きじゃないけど、でも釣られた魚になることの方が多い。
って言うより、生まれたときから家庭内では釣られた魚でした。
だいたい待ってる側なの。
そして相手から餌を投げられたら、それを受け止める。
受け止めることが魚である私の役目なのだ。
もう疲れてしまった。
餌を待つのは。
しかもだんだん与えられる量が減ってくるからね。
釣り人気分でね。
釣り人からしたら、減らしているわけではない、適量が分かったのだ!と言いたいのだろうがね。
餌は、愛と言い換えられる。
世界中の魚たちよ!(は?)
釣り人からもらえる餌は、食べても食べなくても良い!
餌は、まず自分で作って自分にあげよう。
最初は怖い。
だって餌は他人がくれるから価値があるものだ、と思っているもの。
あやかりたいのよ。
のっかりたいわけ。
自分で餌を家内手工業的に作ったって満足しない、って思ってるの。
でさ、他人がくれた餌ってケチつけることも出来るの。
こんな餌食って腹壊した!どうしてくれる!ってさ。
私あんたの餌食ってなかったから、今頃もっと幸せだったかも!とか言い出したりしてさ。
まるで取引に使う卑怯なツールだ。
でもさ、テメェで作った餌には文句も言えないからね。
私は子供時代、母親から毒混じりの餌をもらって食べてたの。
毒混じりでも、ひもじい思いをするよりマシだった。
大人になってから、「あんな毒混じりの餌なんかくれやがって!」ってクレームつけたくなった。というか、クレームをつける機会が来ることを虎視眈々と狙っていた。
何が狙いだったのか?
本当の美味しい餌を、私に今からでも頂戴!過去の分も含めてたくさん頂戴!そして悔い改めろ!というのが本音だ。
大人になって親にムカついている人とか、パートナーにムカついている人とか(ここでのムカつきは恨むというレベル)は、本当に美味しい餌、無条件の愛をいま欲している状態だ。
泳げたい焼きくんだ(古っ!)
もうもらえない、ということを今理解しよう。
釣り人は、そんなに最初から持ってないの。
魚が欲しいだけの質と量を持ってないの。
そんな釣り人に、くれくれくれくれ言うのやめよう。
LINEくれ!電話くれ!心配してくれ!私かわいそうでしょ!そうでしょ!私家事しすぎなの!私こんな節約したのよ!くれくれ!褒めてくれ!私他の男に狙われてるかもよ!心配じゃろ?どや!焦ったか!見て!あなたのためにスタミナ焼き肉弁当作ったの!300円でこんなに!どや!
私お母さんのためにこんな我慢したの!夢だって諦めたんだよ!どや!これならうまい餌くれるか?!
ああ…魚の脳内はえらいこっちゃ!
釣り人にしてみても、こんな押し売りみたいなのされたらあげたくてもあげられないでしょうね。
でもね、ほんとにもらえないの。
と言うか、欲している人の前には、同じく欲している人が現れる。
だから実は同じ魚同士なの。
だからマジでもらえない。
もらえないって悲しい。
何のために生きてきたの?ってさめざめと泣きたくなるね。
死にたくなるね。
死ぬくらいなら、もらうことをあきらめな。
でね、そこで泣いて自分に愛を与えるの。
もらえなかったなぁ!悲しいなぁ、さみしいなぁ。
でも私だけは、美味しい餌を毎日作ってあげるね、と。
女性であれば、お腹の下をなでなでしながら「大丈夫だよ、いつも一緒にいるよ」と優しく声をかけてあげる。
髪の毛を撫でながら、「愛しているよ」と言う。
そして外から優しさや愛をもらえると期待するのをやめる。
外側に働きかけるのもやめる。
武士のごとく、肚をキメる。
愛を自家発電できる人になろう!
もらえなきゃ死んじゃう魚じゃなくて、なんだか行きがかり上勝手に咲いちまったタンポポみたいになろ!
私は今、魚とタンポポを行ったり来たりしているけれど、最終目標は、やたら注文のウルサイ薔薇🌹になりたいね(どんな薔薇?)
釣った魚に餌をやらないなんて言葉が、私の胸をチクンと刺さない日が来ますように。