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ロックンロールが降ってきた日2

『ロックンロールが降ってきた日』という本がある。

日本のミュージシャンたちにとって、音楽との運命を変えたエピソードを集めた本らしい。

私自身はこの本を読んだことがないのだが、
存在について知ることになったのは
大学で在籍していた軽音学部のイベントがきっかけだった。

部員各々が、自分の中のロックンロールが目覚めたエピソードについて書いた紙を紐に結びつけて、
会場中に垂らすというものだった。

このイベント、
何故だか部員全員がこの紙を書くことは許されず、
ロックが好きそうな人や由緒正しき音楽人生を歩んできたようなごく一部の人たちだけが人選されて、
私は選ばれなかった。

それもそのはず、
私はただひたすらsyrup16gが大好きなだけで、
ナンバガもエルレもアジカンもベボベもろくにハマってこなかったから。

大学生活の9割くらいを捧げ、
そして4年間お世話になったその軽音学部に感謝はしているが、
同じくらい、いやその倍くらい嫌悪もしている。

当時から思っていたし、当時もはっきり主張してきたけど、
「ロックが好きな人」認定を受けるには、割と偏った音楽の嗜好をしていたコミュニティだったと思うし、
声が大きい人が「良い」と言うものを崇拝する傾向にあって、
それを取り巻くほとんどの人も、その人自身も、
どうせ大してよく知りも知らなかったと思うからだ。

その嫌な風潮が一番表に現れたのが、その『ロックンロールが降ってきた日』のイベントだったと思う。

(そもそも「ロック」と「ロックンロール」も違うんだから、イベントのタイトルからして不満だった)

だけど私はそれ以上に、彼らの言うところの”ロック”を知らなかったので、反論を聞き入れてもらえるわけもなく、
なんとなく居心地が悪かった。

そう思っていたのは私だけではなかったけれど、
わざわざ先輩や、先輩から人気者の同級生、といったコミュニティ内のメインストリームに反抗する人なんておらず、彼らは周りの意見なんて気にしないで真新しい音楽を楽しんでいた。
周りから「あんなのロックじゃない」「ダサい」と言われようとも、気にも留めずバンドをやる彼らはカッコよかった。
私はそこまで強くなかった。

そういう意味では私にとって本当の理解者はおらず、孤独だった。

ナンバガやエルレを好きじゃなくたって、
私にだって私なりのロックの歴史や価値観があって、
それに伴う人生だってともに背負って生きてきたんだから。
それを「無い」ものとして否定されたら腹が立つ。

もちろん全員がそんな人だったわけではないけれど、
“そういう人”に限って声が大きかった。
だから目立っていた。
そして、その人たちの言動に悪意がないことももちろんわかっていた。
空白の中高時代を埋めるように青春をリバイバルしたいんだろうなと、私にはそんな風に映っていた。

それすらも嫌だった。
「自分には音楽しかない」と言って入部してくるような世間のはぐれ者たちが身を寄せ合うためのコミュニティの中でさえ、「正解」とされるメインストリームが形成され、
結局そこでもまた、はぐれ者を生み出してしまうという環境が、ひどく馬鹿らしく思えたからだ。
それをなんとか変えたくて幹部になってみたりもしたけれど、どのくらい変えられたのかはわからない。

当時、一つ上の先輩の代が主催の冒頭のイベントで私に発言権はなかったけれど、
私に「ロックンロール(ロック)が降ってきた日」があるとするならば、
いや、確実にあるとわかっているのだが、
とある春の台風の日、深夜、部室でメインストリームの彼ら彼女らが音楽を流しながらお酒を飲んで談笑している中、
そこに混ざれず一つ隣の部屋のソファに寝転がって一人でSyrup16gを聴いていたあの瞬間だった。

これについては過去にも書いたことがある気がするので割愛。

そこから私はめきめきと、そしてこつこつと、それまで以上にシロップを深掘りしていき、
そうしてようやく、
“声が大きかったあの人”が私に偉そうに話してくれたシロップの話なんて、
根も葉もない噂、個人の憶測程度の、ごくごく浅瀬の話だったんだなってことがわかった。

それは良い気付きでもあったけれど、悪いきっかけにもなった。

この人が、この人たちが絶賛する音楽なんて、
たぶんこの人たちのシロップへの熱量と同じく、
大したことないんだろうな…って、
ある種の心の壁を作ってしまった。

それは良くないことだった。
リスナーなんて、音楽そのものの魅力や価値とは何ら関係ないはずなのに、
私はそれらの音楽そのものまで拒否してしまった。

ただ、そんな中でも、
この人だけは本物かもしれないと思う先輩がいた。

私が1年生の時の、4年生の男性の先輩だった。
いつも無愛想、いつもお酒を飲んでいる、いつもタバコを吸っている。仲間内がいないと基本的には無口。
そのくせ年上の元カノには未練タラタラ。
ボロボロのデニムとボロボロのカーディガンを着て、真っ黒な髪の毛をボブ気味に伸ばしてパーマをかけていた。
彼なりのアイデンティティはそこはかとなく感じるけれど、ちょっと小汚い印象だった。

その先輩とは、
2人で話したり飲んだりなんてことは絶対にないような、
たぶんお互いに気まずさを持って絶妙な距離感で関わっている間柄だったけれど、
私の中で「本物」判定が出たからなのか、
親友(私含め女3人組)たちとネタ半分でその人の弟子軍団を勝手に名乗ったりして、
なんとなく尊敬…?していた。
その先輩は、私たちの同級生からはかなり怖がられていたけれど、一番優しくて一番適当で一番面白い人だったと思う。
そして私のことを、良い意味で一番おもちゃにした人だと思う。

もしかしたらその先輩もナンバガやエルレが好きだったのかもしれないが、そういう話をしているところを聞いたことがない。
映画や本や絵画や、そういったアート全般の話が多かったと思う。
だけど、私にはさっぱりわからない話ばかりだった。
そんなところも好きだった。
異性としては全く好きではなかったが。

その先輩が愛してやまないのが「Nirvana」だった。

先に言ってしまうと、
私に「ロックンロール(ロック)が降ってきた日2」があるとするならば、
いや、これは確信しているのだが、
今、この数ヶ月がまさにそうだと言える。

私がNirvanaを知ったのはその先輩のコピーバンドを見たことがきっかけだった。
先輩は卒業間近の4年生だった(留年してたけど)ので、そのコピーバンドのライブを見る機会はそんなに多くはなかったけれど、
たったその数回のライブでなんとなくのかっこよさを感じて…
いや、本音を言うと、
当時はそこまでかっこよさを理解していなかったけれど、
「未知との遭遇」みたいな衝撃は確実にあって、
そして、「本物」の先輩が愛するバンドなんだからきっとNirvanaも「本物」なんだろう、という安直な発想のもと、
こっそりCDをレンタルしたりしてみて、
一人でNirvanaを聴くようになった。

これが運悪く、
「Nevermind」ではなく、「In Utero」(ラストアルバム)と「From the Muddy Banks of the Wishkah(Live)」(ライブ音源)だったのだ。

それが良くなかったのか、
こっそりNirvanaを聴くようになったものの、
どっぷりハマることはなかった。
ただ、「本物」を知っておきたいという意地で聴き続けていたようなところが実際の気持ちだと思う。

次に私がNirvanaとの接点(?)を持ったのは、
シロップがきっかけだった。

私は私で軽音楽部内の同級生同士でシロップのコピーバンドを組み始めた頃だった。
(ちなみに今組んでるシロップのコピーバンドのメンバーはこれと同じメンバー。唯一ずっと友達の2人)

私のマイフェイバリットベストソング殿堂入り『不眠症』をコピーするにあたり、
あの浮遊感を出せるエフェクターがどうしても必要だということになり、
エレハモ(ELECTRO-HARMONIX)のSMALL CLONEというコーラスを買った。
生まれて初めて買ったエフェクターだったと思う。

箱を開けてみるとそこには、
「Your nirvana」の文字があった。

それがあのNirvanaであることはわかったし、
スモールクローンを使っていくうちにその意味もわかった。

シロップのギターボーカル五十嵐隆が当時実際にスモールクローンを使っていたのかどうかはわからないけれど、
とりあえずシロップの『HELL-SEE』の曲をコピーするにはスモールクローンを使うことが最適だと感じたので、たくさん使った。大変お世話になった。
そうしていくうちに、このスモールクローンの音が大好きになった。

そうして、その先輩たちは卒業していった。

一番上の先輩がいなくなると、
声が大きい人たちのメガフォンのボリュームはさらに上がった。

私はより一層、その人たちがおすすめする音楽を毛嫌いするようになった。

と言いつつも、
自分で音楽を見つけるのにも限界があるし、
その人たちの存在を一瞬忘れれば素直に好きだと思える音楽もたくさんあったので、
そういうものに関しては引き続き一人でこっそり聴き続けた。
結局、私にとっての音楽は、誰かとの繋がりのためではなく、
自分自身との対話のための存在だった。

その間にも、シロップは新譜を出したり、過去最長ツアーをしたり、活動休止したりで、
そっちはそっちで忙しかった。
あくまでも私が一番好きな音楽、
そして私にロックを降らせたのはSyrup16gで変わりなかった。

私は軽音学部を卒業し、その1年後に大学も卒業し、
バンド活動からは足を洗った。
上京して社会人になってからも一人でギターを弾いたりすることはあったけれど、
もうコピーバンドを組んだり、ましてや他の同級生たちのようにオリジナルで活動したりなんて、
もう二度としないつもりだった。

もちろん音楽を聴くことはやめなかったし、
新しい音楽を探しに行くこともやめなかったけれど、
その活動はあくまでシロップを軸としていた。
洋楽なんてもってのほかだった。

社会人数年目の時、
Nirvanaが大好きな男性とお付き合いすることになった。
彼の車の中ではいつも「Nevermind」が流れていた。
本当にいつもそれだけ流れてるもんだから、
さすがの私も耳が慣れてしまった。

そのうち、その彼とはお別れすることになった。

彼と離れてみて、
ただの懐かしさ(そこに彼への未練は一切ない)で、Nirvanaを聴くようになった。
そしてある日、「Lithium」という曲の歌詞を読んだ。
まるで自分のことだと思った。

そこからは一瞬で、
これまでなんとなくで聴いていた音楽たちが、
突然全て輝き出した。

ようやく私は、Nirvanaにハマったのである。

それから月日は流れ、
今年のお正月、「rockin’on sonic」という音楽フェスに行った。

海外のアーティストのライブをまともに観るのはそれが初めてだったと思う。
(フジロックとかも行ってたけど、シロップ以外は適当に流し見してただけだった)

レジェンド級のアーティストたちが歳を重ねた今、
こうして日本に来てくれて音楽を届けてくれることに対して、
観客たちは本当に嬉しそうな反応を見せてくれた。

休憩がてらに立ち寄った会場内のとあるコーナー。
そこには、過去の『rockin’on』の表紙の写真が大きく印刷されたパネルがたくさん飾られていた。

その中に、カート(Nirvanaのボーカルギター)の写真もいくつかあった。

そうして思った。

いいなあ、みんなは自分の大好きなアーティストの今の姿を見られて…

って。

だってもうカートはとっくの昔に亡くなっちゃってるから、
もう二度と新譜を聴けることもないし、
ライブを観れることもない。

これまでNirvanaに対して抱いたことがなかったような喪失感に見舞われた。

そこで私の中の何かに火が点いたのか、
Nirvanaに対して、「音楽を聴く」こと以外でのアプローチをしてみようと思った。

『rockin’on』のバックナンバーを取り寄せてカートのインタビューや特集を読んだり、
YouTubeでNirvanaに関連する解説動画を見漁ったり、
TikTokで海外ファンの反応やコメントを読んだり、
カートのドキュメンタリー映画を観たり、
とにかくたくさんのことをした。

ある日、ちょっとした雑談で
「シロップ以外でドラムを叩いてみたい曲はある?」と聞かれ、
Nirvanaと答えた。

自分で言ってその時思ったのだが、
私ってシロップ以外でドラムをあまり気にしたことがなかった。

だけど、仮にも今趣味としてドラムを始めてしまった以上、
今後はこれまでのようにギターボーカルとしてではなく、
ドラマーとしていろんな音楽を聴いてみなきゃな、という気持ちになった。

これがまた私のNirvana愛に拍車をかけた。

最初は本家Nirvanaのドラマー、デイヴグロールのプレイングに注目していたけれど、
そうすると今度は、彼らNirvanaが影響を受けたアーティストたちはどんな音楽をやっていたんだろうかと気にってくる。
そしてNirvanaと同時期(90年代)に流行っていた音楽も気になってきて、
さらにはNirvanaや彼らが影響を受けたアーティストたちが影響を受けたアーティストも気になってくる。

Apple Music公式のありがたいプレイリストをもとに、
一日中、そして何日も何週間も、
これまで聴いてこなかった音楽を聴きあさった。

そして、その中でいいアーティストがあれば調べてみる。
そうすると、彼らの繋がりや、音楽ジャンルの歴史まで気になってきて、
そういうものもYouTubeの解説動画や昔の音楽雑誌などから勉強した。

すると、
昔は「こんなの古臭くて絶対に聴けない」と思っていた音楽もすんなり聴けるようになっていて、
それどころか素直にかっこいいと思えるようになった。

そして、軽音学部時代に、声が大きい人たちが褒めちぎるせいで毛嫌いしながら一人でこっそり聴いていた音楽たちも、
もうそんな過去の嫌な思い出とは一切決別して、
敬愛できるようになった。

すると、全ての記憶が突然繋がり出した。

あの時、あの先輩が卒業ライブのイベントの一つとして主催したアコギライブの名前が「Unpulugged」であった理由、
あの先輩がHiGE(髭)を好きだった理由、
あの先輩が芸人の永野を好きだった理由、
Nirvanaファン部員とOasisファン部員が相容れなかった理由、
先輩が私たちの強引な誘いで飲みに来てくれた時に表情一つ変えず「俺らが来てやったんだから楽しませてくれよ」と口癖のように言っていた理由、
毎月深夜の部室で開催されるロックDJイベントのプレイリスト、
五十嵐隆が過去のインタビューで語っていた言葉、
私がこれまでUKロックを遠ざけていた無自覚な理由、
USロックはもっと苦手だった理由、
あのヤニまみれの部室で散々語り尽くされたあのバンド、あの音楽、あの名前。

この10数年の記憶が、Nirvanaによって全て集約された。

これほどまでの快感を味わったのはいつぶりだろうか。
これほどまでに新しい音楽を吸収し続けているのはいつぶりだろうか。

そう、まるでこれは、あの日と同じ。
初めて私にロックンロール(ロック)が降ってきた日。
それまでも幾度となく聴いていたSyrup16gのとあるギターリフが全身を駆け巡って深夜の台風の中を駆け出して屋上にたどり着いたあの日。

あの時と、全く同じだ。

あんな日はもう二度と訪れないと思っていた。

それなのに、また出会ってしまった。
また運命が変わってしまった。

Nirvanaが、私にロックンロール(ロック)を降らせてきた。

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