The ド定番 毒親フレーズ
だと私は思っています、堂々の第一位
誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!?
の与える影響について考えたので、つらつらと綴ろうと思います。
(今回は長くなりそう…けど共感もしてもらえるんじゃないかな…)
思えば数え切れないほど浴びせられてきました。
どうかな、小学生に上がる頃にはもう何度も言われてきていたのではないかな…
今でもこの言葉を目にするだけで、憎しみや強い怒りが湧いてきます。この言葉で子ども側をコントロールしようとする、親の卑怯さ、自分たちのエゴで勝手に産んでおいて、養育する義務があるにも関わらず、それにはふれない身勝手さ、どうやったって生計を立てることは、十にも満たない様な年の子どもには不可能なのに、それを振りかざして脅す大人の汚さ、すべてに強い怒りと憎しみを感じ、嫌悪感を催します。
この言葉をかけられる度、私は早くおとなになりたいと思っていました。生計さえ立てれば、文句言えないでしょ?と考えていたからです。
(後に、毒親と呼ばれてしまう親は生計が別であろうがなんだろうが、親であることを振りかざすと知ったのですが…。)
幼い頃から、この言葉を子どもにかけるのは絶対におかしい、と確信さえ抱いていました。
だからこそ、恩着せがましいこの発言を浴び続けていても、心のどこかで自分はその言葉を跳ね除けきれていると、ずっと思っていました。
この言葉による心の傷は、他の言葉によるものよりも少ないだろうと、高を括っていたのです。
しかし、そんなことはないですね。
誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!
今思えば、この言葉によって、私は大きく認知を歪めてきました。
こういった、恩着せがましい発言は、子どもに罪悪感を感じさせ、また無力感、無価値感を植え付けます。
自分には何もできない、何も決定することができない、言われたとおりにするしかない、と感じさせ、自己肯定感とは真逆のものが育ちます。奴隷化の始まりです。
今まで気づいていませんでしたが…
私は私に親切にしてくれる相手が、親切に対して見返りを求めている、と無意識で感じているような気がします。
人間同士のコミュニケーションの基礎基本となる親との関係が、お金を出してもらっている・世話をしてもらっている=親の言うことに従う、だったからでしょう。
この認知の歪みで今も苦しんでいます。
常に自分の至らないところを責め、できることよりもできないことを数え、人に甘えることに罪悪感を覚え、本当は迷惑に感じているんじゃないだろうかと感じ、こんな私を助けてくれるんだから、何かお返しをしなければならない、と感じています。
人間に対して不信感があります。
笑顔で助けてくれている人も、裏では私のことを迷惑に思っているんじゃないだろうか、嫌われないように一生懸命迷惑をかけないようにしなきゃ、そう思っています。本当に苦しいです。だって人を信じたいのに、信じられない。人を愛したいのに、愛がよく分からない。
こういったループに陥る度、
ああ、なんて面倒くさい人生なんだろう
生きるのって面倒くさいな、と感じてしまいます。
苦しくても、終わりにする勇気はないので生きるしか選択肢はないのですが、生きるって苦しいですね…。
今日は苦しい日なので、自分に出来ていること、自分が決定して責任をとっていることを数えて、自分をよしよししたいと思います。
みなさん、今日もご自愛がんばりましょうね。