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子の不幸せを望む母
足元ががらがらと崩れるような感覚。
お腹の底から全てをひっくり返される感覚。
しっかりとした土台だと信じていたものが、ただの幻だったと思い知らされる感覚。
どう表現するのが一番しっくりくるのか…
とにかくあの日、それまでの私の世界はバラバラに壊れた。
「お前なんて幸せになれない。」
と言われたあの日に。
なんだかんだ、愛されているだろう…と思い込んでいた私は、あの時に死んだ。
なんだかんだ、まだ両親というものを特別視していた私も、あの時に死んだ。
今生きているのは、彼らを神聖視することもなく、彼らへの自分の感情を排し、ただ淡々と彼らの言動について考察を繰り返す私だけだ。
あの日、私は「わたしの人生」について、どう舵を取るか決めたことを伝えただけだった。
一般的には喜ばしいニュースだ。
誰も彼も、報告をした人からは「おめでとう。」と声をかけてもらえるような。
たとえあまり肯定的な反応でなかったとしても、「そうなんだ。」くらいの反応で収まるような。
そんな報告。
自分の親に初めて話した日。
まさか自分が「不幸になれ」と呪いの言葉をかけられるとは思ってもみなかった。
具体的に言われた言葉を書こうと思う。
「お前は幸せになれない」
「自分勝手だ」
「勝手に人生を決めて我儘だ」
「そんなことのために素晴らしい教育機会を与えたわけではない」
「お前みたいなやつが幸せになれるわけがない」
彼女はまるで何かに取り憑かれたかのように、狂ったように喚き散らした。
何度も、何度も、私の顔を見るたびに、同じ言葉を何度も何度もぶつけてきた。
最初は流そうとしていた私も、流しきれなかった。
だって、我を失いながらも撒き散らす言葉だ。
これらがあの人にとっての長年の本心であるのだろう。
考えて出した言葉ではない。
心か、頭の中にあるものをそのまま取り出して、子どもに投げつけているだけなのだから。
その時に実感した。
ああ、私は愛されてなどいなかった。
やはり下のきょうだい達のみ、いとしかったのだろうと。
そして、私はわたしの人生の舵取りすら許されないのか、と深く絶望した。
経済的に自立可能な年頃であったし、何を言っているのだ、と思う人もいるかも知れないが、毒親育ちは反抗のために羽ばたく翼を疾うの昔にもがれている事が多い。あのときは自分の人生に絶望し、何のために生きているのか、本気で分からなかった。
どこにいても、感情が、心が、自分から浮いていて、誰かから話しかけられても、頭のてっぺんのほうだけで自動モードで返事をしているような、そんな日々が続いた。
とにかく無気力だった。
何も無くても涙がこぼれた。
そんな生きているのか、いないのかもよく分からないような日々の中、ある日けろりとした顔で彼女は私に言い放った。
「あなた、いつまで不貞腐れてるの」
愕然とした。
激しい怒りと憎しみがわいた。
誰のせいだよ。お前のせいだよ。
誰のせいだよ!あんたのせいだよ!!!
誰がここまで追い込んだよ。
ひとの心を殺そうとしたんだよ。
一生許さない。忘れない。赦さないから。
でも、激しい怒りの裏にあるのはひたすらに大きな、悲しみだった。
宇宙中を探してもふたりしかいない、そんな存在のうちのひとりに、自らの存在を否定され、感情を否定され、意思を否定され、不幸になれと叫ばれた。
その衝撃を私は生涯忘れることはないだろうし、生涯赦すこともないだろう。
そして両親を大切に思おうとしてきた、幼い子が盲目的に親を信じ、慕い、おいかけていた私は完全に死んだ。
今振り返ると、あの時、私の心のやわらかな部分をを殺してくれてありがとう、とすら思う。
あの経験がなければ、今あなた達を諦めていられなかったかもしれない。
いつまでもいつまでも、偶像の家族像を追いかけて、自分の手にずっとあった大切なものを今ほど大切にできていなかったかもしれない。
自分の人生を取り戻すきっかけをつかめなかったかもしれない。
ありがとう、あの時、私の心を殺してくれて。
さようなら。
私の知らないところで、私抜きに幸せになって。