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娘に嫉妬する母親

これまでの自分の人生において、私はずっと、自分の感情や気持ちに自信が持てなかった。


この悩みを初めて打ち明けた相手は、おそらく今のパートナーなのだが、
自分の気持ちに自信を持つって何?
と尋ねられた。

そのとき私は初めて
ああ、健全に育った人にはない悩みなのか、と思い至った。

私の母は過酷な人生を歩んできた人だ。
壮絶な虐待のなか、必死に一人で生き抜いてきた人だ。
そんな彼女にとって、同性であり、幼い頃の彼女からすれば、大いに恵まれた環境に育った私は、愛すべき子どもであり、同時に嫉妬の対象だったのだろうと思う。
彼女からしたら、ぬるま湯でお気楽に育つ自身の娘は、心の奥底では心底許しがたい存在だっただろう。
彼女は、私がその時その時の年齢に見合う、幼いものを好むと、特に執拗に攻撃した。


「そんなバカみたいなテレビ見て。何が面白いの?」

「そんな漫画みたいな本読んで、恥ずかしくないの?」

「そんなダサい服がいいの?センスないわね。私が恥ずかしいから、やめてくれる?」

こういった言葉を何度も繰り返し掛けてくるのだ。

これらの言葉はまだ幼く、柔らかかった私の心に深くささり、大人になった今も、言葉が抜けないトゲのようになって、じゅくじゅくと痛む。


こういった経験から、私は自分の思いに正解を求めるようになっていったのだと思う。
自分が好ましいと思うもの、欲しいと思うもの、それらすべてに正当性があるのか、すべてに母の承認を欲するようになっていった。


自分を自分で肯定できず、他社からの承認がないと不安になる、そんな生きづらい大人の出来上がりである。




       


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