創作の独り言 才能が枯渇する時

 特定の分野において仕事をする人、創作をする人、創作者、自己表現方法が拡大してきたこの世界において「才能」という言葉を肌で感じることが非常に多くあるように思える。

 大体どの分野においても、自分の才能が惨めになるくらい図抜けた天才がいるものだと認識している。小説だけではない、その他あらゆる分野において、「この人には絶対自分は勝てないだろう」と知らしめられる瞬間、私は惨めに思うと同時に、逆にやる気が出てくるのだ。

 なんとなく、「あんなすごい事はできない。自分はそんなことを求められていないんだ。だから自分の楽しいままにしていこう」と思えるのだ。社会的に必要とされている事柄から脱却して、自由気ままに楽しむことができるようになるという感覚だろうか。
 自分はおおよそ10年近く創作をしていて、大きく評価されたことが恐らく一回もない。昔はそれがコンプレックスで、不快な気持ちにさらされることや、他に評価されている作品に対して妬んだりすることもあった。

 だけどいつからか、それは「自由」であることの代償であるとわかった。自由に創作することができている。自分が書きたいように書き、好きなタイミングで物語を綴ることができる。そんな創作的な自由を謳歌するためには、誰かからの評価など求めてはいけない。
 これに気がついた瞬間、自分がしている自由から、きっと抜け出すことができないんだろうと確信させられる。その自由があるからこそ、自分は創作をしているのかもしれない。

 この世界は図抜けた天才が、何十年と時間を費やしてきた凡夫を一瞬にして置き去りにしてしまう。初めて書いた小説が空前の大ヒットを飛ばして、一気に小説家としての肩書を得る。この世界ではよくある話だ。それに対して、私のように妬み狂い、なんなら創作をやめてしまう人だっている。
 自分はそうはならなかった。誰からも評価されなくていい、それでも、自分のしたいようにしている。

 才能とは難しい言葉だ。例えば「素晴らしい能力を持っている」というものが才能であれば、能力と使う機会が要求されていることになる。物事を延々と続けるというのは才能ではないかもしれない。別の力、「しつこさ」と表現すれば適切かもしれない。

 この定義で行けば、才能があってもしつこさがないと能力は活かせないことになる。何においても、しつこさというのは大切なものだと思う。それがないと何もできないとなると思うと、なんなら才能のより大切かもしれない。

 そう、私には才能がなくても、しつこさがある。だからこそ自由ではあるのだけれど、時々その才能に対しての切望が強くなる時がある。それが、一つの作品を書ききったときだ。
 公募に応募したときはよりその焦燥感が強い。次の締切が遠くにいるというのに、何にもやる気が起きなくなる。真っ白なディスプレイに対して何も浮かばず、頭の中はただただ虚無として広がっている。静かなる沈黙。その沈黙に耐えられなくなるときがある。

 それが私が才能を求める瞬間であり、「才能の枯渇」を感じるときだった。才能というものは有限であろう。それを絞り出すことで創作物という残滓を得ることになる。きっと創作物というものはそんなものだ。
 自分の自由さを求めて、僅かなばかりの才能を絞り出そうともがき続ける。今の自分はまさにそんなところだ。出涸らしのような才能しか持ち合わせていないことを常々思わされる。

 そのたびに自分は問う。
 本当に必要なものは「才能」なのか。必要なのは「しつこさ」ではないだろうか。どれだけ出涸らしであり、才能に満ち溢れた作品を作ることができなかったとしても、自分には「しつこさ」と「自由」がある。だからこそ書き続ける。

 おそらくは多くの創作者が「才能」の枯渇を感じていると思う。確かに図抜けている人間はいるし、その人に対して勝つことは絶対にできない。別格の才能を持つものというものはどの世界においても存在するし、凡夫がそれに打ち勝つだけの時間の中で、天才と呼ばれる人間は恐らく大量の想像をすることができるだろう。
 だからこそ、凡夫には凡夫なりの戦い方があると私は思う。自分はとにかく自由を求めて楽しく、自分のワガママに創作を続ける。

 SNSにいる多くの創作者は、きっと自分が「凡夫である」と囁くだろう。私だってそうだ。自分には少しの才能もなくて、ただ妬むことしかできない自分でも、ここまで書き続ける事ができている。
 私程度であっても、しつこく、書き続けることができている。それは才能はなくても「しつこさ」だけは持っているんだと思う。

 長々と話しているが、多くの自分を凡夫だと思っている人は、きっと固有の才能があり、自分が思っている以上の能力を保有しているのだと思う。確かに一部の図抜けた才能を持つ人間がいるのは知っている。だけど、能力の掛け算をすることで、その天才に匹敵しうる能力を、きっと多くの人が持っているのだと思う。

 自分のことを過小評価しすぎている、私はそうやって思うのだ。皆素晴らしい作品を大量に排出していると思う。だからこそ、お互いにお互いのことを尊重しあい、高め合う。そうすることが創作の活性化に最も寄与すると確信している。

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