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創作の独り言 独創さは「苗木」

独創性ってなに?

 こと創作の界隈にいると、「独創性」という言葉を死ぬほど耳にします。クリエティブだね、とか、オリジナリティがある、などの言葉が類義語で使用されますが、そもそもこれらの言葉は本質的にどのようなことを示しているのでしょうか。

1.独創性は「苗木」のようなもの

 まずは恒例になっている、辞書で独創性の意味について調べてみましょう。下記はgoo辞書より引用しています。

模倣によらないで、独自の発想でつくりだすこと。また、そのもの。
「goo辞書 独創の意味」https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%8B%AC%E5%89%B5/

 このように書かれていました。
 これによると、似たようなものが一切なく、かつ他の人が考えられないようなことを作り出すことでしょう。

 抽象的ですので、この創作の独り言シリーズで取り扱いやすくするため、「小説」に限定して考えてみます。

 まず、模倣によらないということなので、より大きな括りのものを作るとしましょうか。
 「小説」の分野においてはやはり、「新しいジャンル」が模倣によらず独自の発想で作り出すことができそうですね。他にも、文章の世界ならではの新しい言葉だったり、新しい物語の形式とかも考えられますが、どれも漠然としすぎているので、今回は「ジャンル」という大きな括りで考えていきましょう。

 物語のくくりとして存在している「ジャンル」ですが、小説だけではなくジャンルは非常に重要です。事物語であればその言葉一つでどのような物語の輪郭があるかを掴むことができますし、作品選びの重要な要素の一つです。
 実際それを1から構成することは骨が折れる作業でしょうが、そのパイオニアはどのようして作ってきたのでしょうか。

 現代小説、ホラー小説、恋愛小説、文学小説、推理小説、冒険小説、ジャンルとして語られるようになったものはどれもこれも数十年前の近代的な昔の話ではありません。
 あえて創作のジャンルとして定着しているのは、何度か話に上げている「なろう系」というものでしょうか。こちらはほんの数年前から一つのジャンルとして成立しているものですね。

 最初は誰かが投稿した一つの物語だったのかもしれないけれど、それに類似する多くのものができていったからこそ、「ジャンル」として一大ムーブメントを引き起こすほど作品が増加したと考えれば、それがどれほどのものか考えさせられます。
 あえてジャンルの話を上げたのは、私の考えとして独創性とは、「苗木のようなもの」だと思っているからです。

 ここで一つ質問です。皆さんはどんなものを見たときに「独創的だな」と感じているでしょうか。
 ちなみに私は、「今まで見たことがなかった表現や物語の作り方を見たとき」なのですが、こればかりは意見が十人十色になると思われるので、あくまでも傾向だけを理解していただけると幸いです。

 広く言えば、「今まで見なかったもの」に対して独創性を想起することでしょう。ですが、ほんとうの意味で「今まで見なかったもの」なのかを判別するのは存外に難しいのです。
 この世にある作品は把握することのできないほどであり、パッと見て「なんかあんまり見ない手法だな」などを思っても、自分が見てたことのない作品のほうが世の中には圧倒的に多いわけです。それらをすべて知った上で、独創性かの判断をしなければならないため、実際「今から独創的なものを作ろう!」と思っても、なかなかに難しいわけです。

 実際、すべての作品を網羅するのは不可能です。今はネットの発達によって様々な方法による情報発信が可能になっていますので、それは一入でしょう。素人の私がこのように自分の意見を発信できるのも、この発達した社会があってこそです。

 では、作り手として、「独創的なものを目指す場合」はどのよううなものを作るべきなのでしょうか。

 ここで、先程表現した「苗木」が出てきます。
 魅力ある独創的なものは必ず、「模倣」されます。そもそも独創性は模倣されておらず、しかも独自性が強く盛り込まれたものがそうとされていました。
 そのため、奇をてらって沢山独創的な作品が多々生まれるかもしれません。ですがそれらはあくまでも強引に要素が曲げられたなにかということになります。
 作品として十分な魅力がなければ「苗木」として美しい花が咲くことはありません。

 独創的なジャンルの苗木の場合、作り出した最初は苗木かもしれませんが、それが多くの人の「模倣」によってやがて大きな花に変わることもあるでしょう。このような後続の可能性が感じられるものが、「独創性のある苗木」ということになり、初めて価値が生まれるのでしょう。

 なお、私もこのような独創性のある苗木を作りたいのですが一向に進みません。やはり、このようなものを作るのは難しいのですね。

2.模倣は決して悪ではない

 先に「独創性のある苗木は模倣によって花を咲かせる」と書きましたが、模倣という言葉は実際悪いことではありません。

 確かに他の人が作ったものを1から10まですべて真似するのはいただけませんが、実際技術を学ぶ上で模倣はこれほど効率的なものはありません。私も小説を書き始めたときは、多くの本から言い回しを真似したことは記憶に新しいことですし、オマージュとして好きな作品の描写をしてみたりすることは一度や二度ではありません。

 先に話に出した「なろう系」は、似たような物語が多いと揶揄されることもあるのですが、これは類似した作品が多いことよりも、他のジャンルとは異なり「即座に別媒体につながる可能性がある」ということが噛んでいると思います。
 実際に数字で調べていないのでわからないのですが、アニメーションの界隈で公表される作品はこれらの「なろう系」もしくはそれに酷似した世界観を持つ作品が多い印象にあり、そこでまるでアメリカンドリームのような印象を受けるほど、それらの作品がアニメ作品として並んでいます。

 これは作品ごとの魅力や、逆に悪点とは別に、システム的な問題があるように思え、「模倣がだめ」と断言するには至らないように思えます。技術や物語の進みを理解することに限定するのであれば、模倣は悪いことではありませんし、自分の解釈で苗木の判断をする事ができることを考えると、十分必要なことなのだという考え方もできるでしょう。

 もしかしたら、大量の模倣の中で、「独創性につながるなにか」が生じる可能性もあります。テンプレートの考え方で、独創性が生まれるのであれば、ノウハウを十分に身につけた創作者が無尽蔵に作ることができることになります。
 必要なのは、「人と違うこと」だけではなくて、「多くの人と同じ部分を身につけながら、別の発想をする」ところだと思います。本当に誰一人理解することのできないものを独創性というとは私は思いません。

 作品を理解することができて初めて、「独創的」といえるのです。
 奇をてらった文法や難しい言葉を羅列するだけでは、独創性は生まれませんし、優しい文章になることもないでしょう。

 この言葉はまさに自分への戒めの一つであり、文章を書く上で「優しさ」を常に意識したいという考えの現れです。それが間違っているか正しいのかはわかりませんが、これからの自分に期待しましょう。

結論

・独創性は「苗木」。たくさん模倣されて、やがて大きな花になる。
・模倣は別に悪いことじゃない。多くの人のことを知っていることが、独創性の前提になる。
・優しい文章を書こう。

 とりとめないのがまさに独り言、それでは本日の独り言は以上!


 

  

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