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落語好きが高じて新作落語台本

落語好きが高じて新作落語台本
昔から落語が好きで、好きが高じて落語台本まで書いてしまいました。
そのうち、まあまあかなと思える台本を三本noteに投稿してみました。
落語台本「おせんにキャラメル、地獄に仏」は原発のゴミ処分場の噺。高濃度の廃棄物処理場をどこに作るか、なかなか決まりませんね。国内に造ることはもはや不可能ではないかとさえ思えてきます。切羽詰まった挙げ句、一人の官僚がこうなったら地獄にでも作るしかないと考え、実行に移すというお噺です。そうして、地獄に廃棄物処理場ができたとします。そこからの噺の筋は、「地獄八景亡者戯」(じぼくばっけいもうじゃのたわむれ)をなぞります。肝心の廃棄物をどうして地獄に運ぶかというと、廃棄物でサイコロをつくります。そのサイコロを六文銭の代わりに死者一人に一個ずつ持ってあの世の閻魔の庁まで運んでもらおうというのです。そうすると未来の人に迷惑をかけることもなく、今の世代で処理できるというのです。
ということで、清八,喜六の二人がサイコロを懐に閻魔の庁にやってきます。それからどう展開してゆくかは読んでのおたのしみ、時間のある方は覗いてみてください。
つぎは落語台本「猿月記」(さるげつき)という噺です。早い話が「山月記」のパロディになっています。噺家に憧れてとある師匠に入門を認めてもらったさい角さん、そこまではよかったのですが、どうも要領がよすぎるというか、器用貧乏というか、うまく修行できません。他の落語家は、10年、15年と経つうちにそれなりに自分の性格というか個性というか、そういうものと折り合いをつけてそれなりの風格を備えて噺家らしくなるものですが、彼は器用に噺を演じるのですが、味がないというか風格がないというか、芸風が見えないまま、自分でも悩みつづけます。そんな彼を見かねた師匠から、色芸に変わったらどうや、と勧められるまでに至ります。しかし、落語がすきでこの世界に飛び込んだ彼は色物の芸にも馴染めず、とうとうある夜、堪忍袋の緒が切れて舞台から飛び降りて、行方不明になってしまいます。そしてこの師弟にどのような出会いがあるのか、どんな結末を迎えるのか、それは読んでのお楽しみです。
三作目は小説、あるいは落語「夢の入口」という噺です。
この噺、もともとは私が夢を見て、その覚め際にナゾナゾをかけられたような気がした、という経験に端を発しています。 なぞなぞの詳細はわすれてしまいましたが、「夢で問いかけられたナゾナゾは解けるんだろうか」という疑問を私の中に残していったのです。
この噺の主人公であるトオルくんも同じ経験をします。それ以来、同じ夢をしょっちゅう見るようになり、どうしてだろうとその理由を考えるうちに、次のような結論にいたります。夢のなぞなぞが解かれていないということは、夢はまだ完結していなくて、夢の出口は半開きのままなのではないか。だから、昼寝も夜もいつもするりと同じ夢にもぐりこめるのではないか、というのです。そういうふうに夢の出口、つまりは入口を見つけたトオルくんは、さまざまな冒険に巻き込まれてゆきます。
この先どうなるか、興味のある方は読んでみてください。
以上の三本の新作落語台本、読む落語としても楽しんでいただけるのではないかと投稿してみました。
他に劇の脚本、小説等も投稿しています。これをこ゚縁によろしくお願いいたします。

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